About HATHA

弊ブログをご覧いただき誠に有難うございます。
HATHAと申します。宜しくお願い致します。

好きなこと:映像制作・言語化・深夜徘徊・キャッチボール・水タバコ・蝋燭・放浪・冒険旅行・ギター・アウトドア全般・フィットネス・裁判傍聴・各所潜入
得意なこと:走ること・登ること・書くこと・すり抜けること
苦手なこと:自分が遅刻すること・朝起きること・急いでいるときに待たされること
大切なもの:愛・勇気・自由・刺激・余裕・合理性/非合理性
好きな数字:109・108・33・19・142857
行きたい国:ベネズエラ・イラン・ノルウェー・オセアニアと中米の島国・北朝鮮・アイスランド・インド・エチオピア・アフガニスタン・ウクライナ・キルギス・トルクメニスタン・セルビア・ドイツ
好きな音楽:ハウス(特にプログレッシブ)・ラテン・ヒップホップサイケ・クラシック・レゲエ
好きな映画:バタフライエフェクト・氷の微笑・リリイシュシュのすべて・グラントリノ・トランスワールド・ゴッドファーザー・トレインスポッティング・私が、生きる肌・東京難民・ユージュアルサスペクツ・時計じかけのオレンジ・キャッチミーイフユーキャン・悪童日記・バトルロワイヤル・TIME タイム・バニラスカイ・マイフレンドフォーエバー・タイムマシン
特色・特性:好奇心/冒険心旺盛・刺激指向性強め・気分屋・大胆・温厚・挙動不審
関心のある分野:哲学・人類学・社会学・宇宙・生物・意識・犯罪・言語学習(英語/スペイン語)

幼少時代

平成1桁年、関西の地方都市に生まれ育つ。
いつもニコニコしていて手間のかからぬ赤子であったという。

不適応などにより保育園を2度中退したのち、幼稚園に編入。
日々お絵描きやフィギュア遊び、妄想ごっこを嗜み、3歳からスキーに親しむ。

海外旅行好きな親に連れられてモンゴルの草原で生活したりオーストラリアの田舎町でファームステイしながら小学校に通ったりするなかで、幼心ながら「居場所はここだけではない、世界は広いのだ」と思い知らされる。

小学時代

小1のときに漫画を買ってもらえなかったため自ら漫画を描きはじめ、そこから高3に至るまで日常的に描きつづける。

日々空想に耽り、インドア好きの内向性の高めな少年であった。
その一方で喧嘩っ早く協調性に欠けていたため、ときには担任を含むクラスのほぼ全員を敵に回したり、担任の方針に反発して授業をボイコットしたりするほどに、集団に馴染めず浮いた存在であった。

居場所がない状況で救いを求めたのか、単純にカッコいいと思ったのか、シュワルツェネッガーなどのアクションヒーローに憧れるように。足に重りを巻いて生活したり学校や家で腕立て伏せや腹筋をしたりと、一人筋トレに励んでいた時期もあった。

しかし、人に認められたい思いや好きな女の子に好かれたい思いなどから、外向性が強化され、不器用でシャイで反抗的な側面は少しずつ薄まっていく。
最終的にはクラスの輪の中へと歩み寄り、迎え入れられたことで、自分が変われば周りも変わるということを強く認識させられる。次第にクラスメイトの男子からはボスと呼ばれるようになる。

また、この頃から卒業に至るまで、筋肉同盟の名のもとに自由帳にデスノートや北斗の拳、ハガレンなどを混ぜ込んだドラえもんのパロディ漫画を描き続ける。

中学時代

地元の公立中学に進み、サッカー部に入る。
しかし理不尽な要求を繰り返す先輩らとすぐに対立。
サッカーよりも格闘寄りな日々を送ることになる。
最終的に、1日に4回校内放送で呼び出された挙げ句、校長室で校長・教頭・顧問・担任などを前に一部関係者と並ばされ、喧嘩両成敗的な流れになったような。顧問は家に謝りにきた。

忘れ物や反抗的な態度その他様々な問題行為により、中1前期は学期中通算最多の校内放送呼び出し数を誇る問題児であった。しかし、中1の後期以降は内申書を意識して急激に優等生化する。

部活にはほぼ行かなくなった一方で生徒会長に立候補し、演説・選挙を経て就任。
通常業務のほか、平和学習や海外震災募金などを独自に提案・実行していく。
屋上開放や自販機設置にもトライするが失敗に終わる。
また、治安が乱れつつあった校内において治安維持活動(喧嘩・暴力の仲裁)を行う。
当時のあだ名は「会長」「ボス」「兄貴」「番長」「最強」だった。

なお当時のイキりエピソードとして、中1の夏にフランスに渡航して美術の宿題「美術館レポート」の題材にルーブル美術館を使用したというものがある。

高校時代

県内最難関の高校に入学。確かに手応えはあったが入試成績がトップだったらしく、入学式では生徒代表として宣誓する。
高校1年の終わり頃には勉強メインの退屈な生活を嫌い、次第にたるんでいく。
いつも遅刻か遅刻ギリギリでの登校だったため、予鈴を聞いた回数はあまり多くない。

筋トレ同好会を作ろうとしてメンバーや顧問を集めるも理事長に却下され、妥協策として格闘技の部活に入ってサークル的感覚で緩く楽しむ。

怠慢で理不尽な教師と対立して授業をボイコットして職員室に残った職員たちに学外まで捜索されたり、その後教頭らに掛け合いその教師を学校から追放するなど過激であったにも関わらず、当時は成績上位であったことに加えてそういった行動が評価されたらしく、高校2年時に教師陣から生徒会役員に推薦される。その傍ら、特に高2からは刺激を求めて逸脱行動に走るようになる。

高3時には学校に行くのが面倒かつそれまでサボりすぎていて社会なんて国立二次論述対策どころではなかった(知識を入れるところから)ので40日以上欠席。
引き籠もったり山や海に行ったり自主学習したりして過ごす。
早くこの町を出たい、新天地に行きたいという気持ちが強かった。

高3の終わりに、それまでの狭い視野での過ごし方に気付く。
大きな後悔に苛まれ、以来チャンスを逃すまいとアンテナを高く張るようになる。

高1から見据えていたT大学(文系)を受験するも結果は不合格。
その流れで宮城の震災NPOに飛び込み、10日ほど老婆たちとの農業や仮設住宅の寺子屋での学習指導などに励みながらそれまで出逢うこともなかった様々な大人たちに触れ、大いに刺激を受ける。

浪人時代

帰郷後まもなく大阪の予備校に入って浪人生活を開始。
北海道から沖縄まで100人近くの浪人生が集う男子寮であった。

しかしそもそも授業を受けること自体が苦手であり、また色々調べて考えた結果志望校を変更したこともあって、5月以降は授業に行くことはほぼなく、ニート的生活を送るに至る。
アンテナを高く張りたいとの思いからネット環境を求めて5日に1回4時間以上はネットカフェに籠もっていた。(寮は基本ネットを使えず、ガラケーしか持っていなかった)そしてGEOやTSUTAYAで映画やドラマや漫画を漁りまくった

受験直前になって流石にこのままではマズいと思い、勉強に勤しむ。

大学時代

関東の某大学に入学。

「心の高鳴る空間に臆せず飛び込んでいく好奇心と冒険心」「それを実現するフットワークの軽さと逃げ足の速さ」を武器として様々なことを体験しながら「言語化による整理、体験から経験への落とし込み」を繰り返す中で、自分自身の哲学・価値観を醸成していく。

他学部の授業ばかり受けたり(10学部~)様々なサークルに少し足を突っ込んだり(15サークル~)、南米に1年間留学して標高2600mの地で週6体育に勤しんだり、

キューバをタクシーで廻り、メキシコで沈没し、グアテマラの湖畔で学校に通い、コロンビアの奥地でホームステイして、ペルーのシャーマンのもとで修行して、ブラジルとの国境で反復横跳びをして、パナマのパリピ村で色んなものにまみれながら年を越し、

知り合いの国家機関の男に100万近く詐欺られて痛い目を見て、それで金欠になって辿り着いた歌舞伎町で紹介された元パチプロの凄腕と裏技のお陰で翌朝から新潟にスノボに行って、その後はネカフェ難民しながら無料案内所で働いたり、

趣味の映像制作が高じて仕事を依頼されるようになってフィリピンの田舎に巨大魚を撮影しにいき、その後スモーキーマウンテンの頂上で首長に招かれ泊めてもらったり

学内の某コンテストに出場して過激派として活動した結果出場停止になり、その直後に反逆的に独自のコンテストを企画・開催してみたり、

色々ありつつも、留学含め5年で大学を卒業する。
専攻は人類学で、卒論テーマは「歌舞伎町の人類学」。

新卒時代

とあるベンチャー系企業に新卒入社。
飲食関連新規事業開発(ITサービス)、損害保険関連営業、新卒採用関連事務に携わる。

新規事業開発は「アルバイト」に絡むものであったため、実際に3ヵ月ほど週1-2で飲食店で仕事終わりにバイトもした。他社の社長との重要な打ち合わせの日に時間を勘違いして欠席するというやらかしもあった。

損害保険関連営業は違和感を抱きながらも様々な方法にトライし、毎日のように様々な業種の営業マンなどと会って話したり、全国各地の様々な方とオンライン面談を繰り返して採用・教育したりした。
しかしモチベーションがついてこない日々。一時を除いて求められる結果は出ず、また事業への違和感から何度も会社を辞めようと思い、転職サイトに登録したこともあった。

転職を考えていたそんな12月、管理本部長に呼ばれた際に進退を考えていることを伝えたところ、翌日社長に呼び出されて設立1年目の不動産系の関連会社Bへの転籍を命じられる。
最初はそのつもりがなかったが、Bの社長とは面識があり、その狂った経歴が興味深いと思っていたので、クリスマスイブの日に履歴書をしたためて面接に行くことになり、取締役2人から圧迫面接を受ける。翌日クリスマスの社長面接、流れでやってきて、もちろん踏ん切りがつききっていなかったため「不採用」と言い渡されるも色々あって翌年1月からそこに身を置くに至る。

良くも悪くも狂った社長のもと、翌月からは契約社員という立場で通常業務(営業・事務)のほかWEB周りや新規事業開発などに携わる。パーカーにスニーカーにリュックで出社していたのが、いきなりスーツに革靴に革バッグへ。20代も女性も多い30人くらいの職場から、自分の次に若いのが34歳で男ばかり9人の職場へ。

しかし5月に入ってしばらく経った頃、深夜に野外である事件が起こり社長に対して失望し、そのまま30分歩いてオフィスに向かって全ての荷物を引き払ってキーや保険証などを残して去り、その日のうちに退職。新卒14ヶ月目にして急遽無職となる。しばらくはNEETを謳歌していたが、身体に異常を来して1ヶ月半ほど入院生活を余儀なくされる。退院後、一時期実家に帰ったのち都内に戻り、8月半ば頃から就活を開始。その傍ら治験やWEB制作(業務委託)などを行う。11月に総合広告代理店への就職が決まり、ディレクターやリサーチャーなどとして働きはじめる。(もしかしたら今日あなたが目にしたものに何かしら絡んでいるかも?)

これから

マーケティング・事業開発/拡大に関わる本質的な、どこでも通用する能力・経験を積み、その上で様々な領域で挑戦して可能性を拡げていきたいと考えている。その傍ら、執筆・映像・音楽・絵などでのアウトプットも続けてよりスケールで生み出せるようになっていきたい。

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