【違和感】新卒9ヶ月目で会社を辞めたときの話

仕事

2020年末、大学卒業後に就職した都内のベンチャー系の会社(以後A社)を9ヶ月目で辞めた。
大学時代の就活についてはこちらの記事に。

A社は美容や飲食支援、民泊やPRなど色んなことをしている会社だった。

入社直後のオンライン研修は3日間のみ。人事からは社内のアレコレに関する説明、社長からは仕事する上でのマインドやら何やらを中心に話を聞いたりディスカッションをしたりといった具合であった。

それから同期と一緒に次期新卒採用のコンセプト作りからサイトリニューアルまでを社長の監修のもとに遂行、それと並行して飲食関連ITサービスの事業開発を任された。

担当は私一人で、社長から定期的にフィードバックを受けながら進めていくというスタイルだった。
上がりにくい賃金やハードな労働環境などによる高い離職率という飲食業界の大きな課題に着目した、従業員満足度と定着率の向上を目的とするアプリを作るという構想であった。

なお、入社してしばらくはコロナの関係で基本的にリモートだったが、当時シェアハウスに住んでいたこともあって誰もいないオフィスの方が色々捗ると感じ、GW含め平日/休日を問わず一人だけ出社していた。

リサーチのために業務時間後にファミレスで3ヶ月くらい週1-2でバイトしたりと足も動かした。しかしコロナによる打撃の大きい業態である飲食店がお客さんとなるサービスであり、かつコロナによる影響がいつまで続くのかが不透明だったので、開発会社に提案して「さあこれから」というところまでは行ったものの、結局保留ということになった。(その提案をすっぽかしてしまった話はこちら

そこで次に任されたのが、営業職だった。
具体的には「建物損害保険申請サポート代理店個人営業」というものだった。

この事業は、カラーサロンや脱毛サロンなどを運営するC社(A社の子会社)の社長が、コロナの影響で売上大幅減という状況に直面した結果、ある種苦肉の策として持ってきたものだった。

建物の所有者に、その建物にかけた損害保険の補償金を受け取ってもらうためのサポートをしている外部の会社(G社)とC社(正確にはC社社長が他で一応運営する会社であるD社)が代理店契約を結んでおり、個人に営業をかけてG社に送客するというのが私の仕事だった。

詳しい説明は別記事に譲るが、この事業は詐欺も多い、なかなかグレー要素の強い、時としてブラックなものだった。(損害保険申請サポートなどとググれば胡散臭いサイトが山ほど出てくる。なお、あえてD社の名前で動くことになったのも、もしもの際にC社が風評被害を受ける可能性を極力排除するためというのが大きかったらしい)

関わり始めた当初から様々な違和感がありつつも、やるからにはしっかりと納得してやりたいと思い、WEBやら紹介やら業務委託やら色んなカタチで試行錯誤しながら動いた。

ちゃんと現場でしっかりと誠実な仕事が行なわれているのか?本当に人から感謝される仕事なのか?
そういったことを確かめるために自分から希望を出して、営業マンは本来参加する必要のない現場調査や調査員向けの外部研修に参加することもあった。

一時的にポジティブに動けていた時期はあったが、それでもやはり違和感を払拭しきることはできなかったし、胸を張って営業できないのだから結果だってついてこない。何度も辞めたいと思い、リクナビなどの転職サービスに登録したこともあった。

確かに「給料を貰っている以上はしっかりやる」と腹を決めて、自分の納得感とかの感情を一旦置いて取り組むのがよいという考えもあるかもしれない。
しかしこのまま胸を張れない仕事を続けてもモチベーションも上がらないし、成果も上がらない。

月曜朝9時からの定例や、毎週水曜の成果報告定例に参加するのは憂鬱で仕方なかった。
また、メンター制度などというよく分からないものが導入されたことにより、入社年次が2つ上の先輩と週1でMTGが設けられていたが、自分と同じかそれ以下くらいの成果しか上げていない先輩からアドバイスを受けなければならないのも苦痛だった。(いい先輩だったけど)

もしかすると、成果がガンガン上がっていれば、違和感など失せてしまっていたかもしれない。
成果が上がらないから、その原因を外部に求めてしまっていた、というのもあるかもしれない。

しかし、そもそも世の中には実に様々な仕事が存在する。
違和感があるのは事実。胸を張って動けないのも事実。
そんな状態のままこの仕事を続ける意味はどれほどあるのか。

平日も休日も関係なく働いていたし、残業は当たり前の日々。
でも本気になれなかった。
そんなものに時間をかけていていいのか。
それならいっそ環境を変えようと思った。

そんな矢先、12月上旬頃、A社の人事に呼ばれ、近況を尋ねられた。
そこで私は率直な考えを伝えた。このままここでやりつづけるのは難しいと。
転職する方向で考えているとまで言った。

すると、関連会社(B社)への転籍を打診された。
詳しくは別記事に書くが、不動産関係のニッチな業界の会社だった。

そこの社長とは面識があり、なかなか特殊な経歴の持ち主で、人としてもともと興味はあった。
しかし、事業内容には興味が持てないと正直に伝えた。

2月までに納得のいく成果が上げられなければ退職すると話した。
2月までの2ヶ月間、最低限の成果を確保しながらも転職先を探して転職しようなどと考えていたのだと思う。

その日はそんな感じで特に何も決まることなく終わった。
その翌日、A社社長から呼び出されて関連会社への配属を告げられた。
「これは命令です」と社長は言った。

B社の事業はコロナの影響でかなり伸びている業態なので新人でも価値を発揮しやすいだとか、まっさらな状態からやり直すのもよいだとか、不動産業界は全体的に体質が古いがゆえに伸びしろがあるだとか、色々言われたと記憶している。
一旦は「分かりました」と答え、仕事に戻った。

デスクで仕事をしていると人事がやってきて「配属が決まったから来るのではなく自分の意思で来てほしい」とB社社長が言っている、と伝えられる。
無責任なことはこちらとしても言えないので、検討すると返した。

自分はこれからどうするか改めて考えた。
元の会社(A社)に残るという選択肢はやはりないな、と。

早いうちに環境を変えたい。
となると提示された関連会社への転籍か、もっと自分に合いそうな会社を探すか。

その数日後、会社のお昼休みに同期と先輩とご飯を食べにいった。
そこで、今後どうしようかという話題になった。

「汎用的なスキルやマインドなどを学ぶことを目的としてB社に一旦身を置いてみるのもいいのではないか、そこで働いてみてもし違うと感じたら、転職活動をすればいい」と先輩は言った。

確かにそれが現実的だ。命令なのだから来月にA社内での居場所はない。
かといってB社に行かないとすれば、貯金もないし(いつも給料日の数日後には預金残高がほぼ0だった)、次の仕事が決まるまで経済的に持ちこたえられる気がしなかった。

一方で、他の道も考えはじめていた。
それは、フリーターとしてやりたいことにアレコレ手を出すというもの。
探偵業や塾講師など、やりたかったけどやらずにいた様々なアルバイトをしてみたいという思いもあった。スモールビジネスを自分で始めるという構想も少しあった。
そんな感じで一旦モラトリアム的な過ごし方をするのも魅力的に思えた。

それから10日ほど経った夜、B社社長に誘われて食事に行き、改めて色々話すことに。
私は基本的に怠惰であるため、そんな自分の弱さを考慮して、自分を縛ることのできる環境を選んだ方がより成長できると思っていた。そういう環境が必要だと感じていた。

B社社長は40代半ばで、テストステロン値のかなり高い風貌をしている。
そして仕事の成果にもビジネスマナーにも厳しい人だった。そして仕事でしっかり結果を出している。
怠惰で常識のない私が力をつける上で良い環境なのかもしれないと思うようになっていった。

それからまた何日か経ち、クリスマスイブの昼下がり。
関連会社のオフィスに赴き、2人の取締役と面接することになっていた。
関連会社とはいえ別会社なので履歴書の持参を求められ、即席で作って持っていった。

お洒落エリアのお洒落めビルのA社とは違い、飲食店街にあるボロめの雑居ビル。地下にはキャバクラが入っている。

会議室に通されてしばらく待っていると、その何日か前にあったグループ合同の忘年会では穏やかで親しみやすい様子だったその2人は、いかつい表情をして入ってきた。
まず、履歴書の文字が汚いとか、この文字から熱意が感じられないとか、中途半端な気持ちで来られても困るだとか、初っ端からかなりの圧迫面接だった。

※イメージです

社員たち一人ひとりが自立して少数精鋭で回している会社なので、覚悟を見たかったのだろう。(温度差があってもお互い不幸になるだけなので、そこを問うのは当然のことだが、なかなか面食らった)

もちろんB社に興味は湧いてきてはいたものの、成り行きで来た感はやはりあった。
ただ、あくまで面接という場なので、受かるための立ち振舞いをしようとしてしまった。
自分を取り繕うような、本意でない発言を何度かしてしまった。

そんな感じでダメダメでグダグダな調子ではあったものの、もはや出来レースのような流れで何やかんやで翌日に社長と面接することが決まる。

翌日、クリスマスの夕方、再びオフィスへと向かう。
会議室に通されて、事務員に出されたお茶を何の断りもなく飲んだらいきなり社長にキレられた。

「いただいてもいいですか」と言うべきだったらしい。
これは常識とされる行為であったことを、このとき初めて知る。

前日と同じように全体的に圧迫面接気味だったが、前日の反省を踏まえて、等身大で話そうと決めていた。

面接では、社長から昔のことなど色んな話を聞いた
その中で、親の出身地が同じ県であるとか、親の職業(難関資格の専門職)が同じということも分かり、縁を感じた。

これも何かの縁。偶然に身を委ねることを大切にしたい。
そう思う一方で、「偶然に身を委ねることで、自ら決断することから逃げてはいないか」と自分に問いかけた。この会社に入るべきか、自分の中でなかなか答えが出ずにいた。

ちなみにこの社長はかなりのワンマンであり、社長が絶対的という空気が漂う会社であった。
「この会社に入るなら、我慢することを約束しろ」理不尽なことも、何もかも。
そう言われたので、「いつまで我慢することになるんですか?」「さあな、俺が良いと言うまでだ」

改めて振り返ると、お前は何様のつもりなんだよって言いたくなるわ

最終的に私はこう伝えた。
「正直迷っています。覚悟決めて仕事に一直線でいくか、会社員を辞めて他のやりたいこともやりながら過ごしていくか」

「今決めろ」
10分経ったら会議室に戻ってくると言って社長は席を外した。

その間に、この会社に入らないとしたらどんな道筋でこれからやっていくか、何をやりたいかを頭の中で改めて思い描いた。

ここで人生は大きく変わる。
簡単な決断ではない。

…やはりすぐには決めきれない。

10分後、社長が戻ってきて、席に着く。
「決まったか?」と問われる。
恐る恐るといった様子で「もう少し時間いただいてもいいですか?」と返す。

社長は一言「不採用」と大きくも小さくもない声で言い放った。

気付けば面接開始から2時間近く経っていた。
社長はこれからB社の忘年会に向かうという。

エレベーターに乗り、オフィスを出る。
目の前の大通りで社長はタクシーを止める。

「どうすんだ?」「最後のチャンスだ」

人生の大きな岐路に立っていた。

言葉が出ずにいた。

どっちを選んだって正解にするかどうかは結局自分次第。
頭でアレコレ考えてもすぐに答えが出ないことは分かっていた。

なら「エイヤ」で決めてしまおう。
次の瞬間、私は「我慢します」と言っていた。

「本当に我慢できんのか?」「約束しろ」「我慢しますって大声で言ってみろ」

我慢します、と大きめの声で言ったのだが、声が小さいとか言われて、それで次は大通りに響き渡るほどの大声で「我慢します!」と再度叫んだ。近くに停まっていたタクシーの運転手は多分驚いただろう。

まあ冷静にこの時点でなかなかヤバい会社なのだが、それを楽しむ余裕もあった。

何かが吹っ切れたような気がした。
この先、我慢を我慢と感じないほど仕事に本気になりたいと思った。

「よし、乗れ」タクシーに乗って銀座に移動し、かに道楽での忘年会にそのまま参加した。

※イメージです

A社は私服OKだったので外の人と会うとき以外はほぼ私服だったが、B社はおばさん事務員を除けば全員スーツだ。
しかし新卒で会社に入ったときに買ったスーツは筋トレをしていたせいで破れるくらいパツパツになっていたので、面接の4日後である12月29日、クライアントのスーツ屋に連れていってもらい、スーツやビジネスバッグや革靴、ベルトなどを色々買ってもらい、そのあと叙々苑で焼き肉を奢ってもらった。

こりゃ辞めたくなっても簡単には辞めれんなぁと感じた。
まあそうやって恩を売っておくのは、よくある人心掌握術だ。

その日のうちにA社のオフィスに行き、全ての荷物を引き払った。
そして年を越し、正月が明けた1月4日からその社長のもとで働き始めた。

それまでは20代が多くて半数くらいは女性で私服OKの、お洒落エリアのお洒落ビルの職場だったが、少人数でほぼ男のみ、自分が最年少(当時24歳)で次に若い人でも34歳、そして毎日スーツという環境へといきなりガラッと変わった。1年間様子を見るとのことで、昇給なしの契約社員という形だったが、別にそこは気にならなかった。

なかなか理不尽なことも待っているだろう。それでも色んな景色を見れるだろう。
だからここで1年は腹を決めて働こうと思っていた。
そして結局、ある事件を機に5ヶ月経たずに辞めることになる。

納得いかなくて向いてなさそうで展望もないなら早めに辞める

納得感を抱けない、胸を張ってできない仕事を悶々としながら「石の上にも3年」とか考えて無理に続けるんじゃなくて、そんなときこそ視野を広げて別の環境をもっと見てみるのも一つだ。

新卒1年も経ってないから転職は難しそうだとかいう人もいるが、第二新卒枠や未経験歓迎の求人は普通にそこらじゅうに転がっているものだ。(Wantedlyなどで手軽に探すことができる)
A社では新卒中途問わず離職率が高いが、コロナで求人が少ないだろうからしばらく様子を見たいという人も何人かいた。しかし、それはあまりに盲目的だ。外食などコロナで規模が縮小している業界については概ねそうだが、逆に伸びている業界やあまり影響のない業界も多いのだから。
(ちなみにA社は離職率が高くて、新卒4期目だった私を含めそれまで11人が新卒入社していたのだが、それから半年ちょっとで同期含め新たに3人が退職し、11分の2しか残っていない)

追い求めればキリがない(cf.青い鳥症候群)が、とはいえ程度の問題である。
魅力的だなと感じる仕事、もっとイキイキできる仕事はたくさんあるはずで、今が異常なだけかもしれない。特に新卒は職場を1種類しか知らないことが多いため、違和感を見過ごしてしまいやすい。(だからお試し就業体験としてのインターンはある程度やっておいた方がいいと改めて思う)

続きはこちら。

2021/10/19

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