新卒14ヶ月目のある明け方、急遽2社目も辞めた

仕事

新卒14ヶ月目のある日の夜、とある一件により、2社目を即日退職したときの話。

前回の話はこちら。

2020年4月に新卒で入った会社、これをA社とする。このA社から、色々あって2021年の1月に関連会社に転籍した。この関連会社をB社とする。

A社スペック:設立15年目くらい(当時)、多岐に渡る事業を展開、本社従業員30-40名(全体400名超)、20-30代が中心、女性社員多め、都内一等地の綺麗なビルの最上階

B社スペック:設立2年目(当時)、不動産系の事業を展開、従業員8名、30-40代が中心、女性社員1名(総務経理のおばちゃん)、都内の飲食街のボロめの雑居ビル

B社では40代半ばの社長が絶対的存在で、その直属の部下として徹底的に主従関係を叩き込まれて舎弟のように働いていた。絶対的な主従関係で、ある種の契のような関係が自ずと結ばれていた。

昭和を経験したことがないからあくまでイメージだが、昭和感の強い会社だった。

・社長の指示は絶対で、NOと言ってはいけない
・社長のお気に入りのタバコの銘柄を常にストックしておくことが求められ、切らしていたらキレられる(もちろん代金は貰っていた)
・休日でも深夜でも、どんな要件でも電話に2-3コール以内に出なければキレられるし、呼ばれたら飛んでいかなければならない

例えばそんな感じだった。冗談を言って笑い合うこともよくあったが、よく怒られた。他の社員もよく怒られていたが、私と社長は特別な関係だった。

そんな「昭和感」を、ある種の刺激として楽しんでいる部分もあった。
社長との約束通り、何があっても我慢して、1年間はここで働くと決めていた。

仕事面に関しては、法人営業の見習いや諸々の関連業務、2つの新規事業開発やWEB集客、外部とのパイプ作りの模索や大量にある過去資料のPDF化のような雑用、出張時の運転など、様々なことに取り組んでいた。プライベートでのゴタゴタは色々ありつつも、仕事の方は軌道に乗ってきていた。

そんなある日、入社して4ヶ月半ほど経った5月の半ば頃、新卒で入って9ヶ月で辞めたA社に中途で新人が入ったということで、A社のオフィスで歓迎会が催されることになり、B社の社長が参加することになった。

私は会社での業務を終えて帰路に就いたものの、自宅の最寄り駅の改札を出た10秒後くらいに社長からの電話で呼び出されたので、ターンして再び改札を通り、電車に乗ってA社オフィスに向かい、夜9時頃から歓迎会という名の飲み会に途中参加した。

イメージ(こんなオシャレではない)

その場には社長たちを含め15人ほどの社員がいた。関連会社は他にもC社やD社などいくつかあるが、A社の規模が圧倒的に大きい。

参加してからしばらくすると、テーブル越しに座ったA社の社長(以下A)もB社の社長(以下B)が何やら話し合いを始めた。

A社もC社も新型コロナによって結構な打撃を食らっていた中、不景気の方が需要が高まる業態であるB社の業績は大幅に上昇していた。それによりBは鼻高々であり、六本木のクラブなどの遊興に湯水のように経費を使っていた。

Aは、そんなBをたしなめたかったようだ。「去年や今年はコロナもあって上手くいってるけどそんなのはラッキーパンチであって、慢心するのはどうなのか。また、そんなことにばかりカネを使うのではなく、社員たちの給料をもっと上げたらどうなのか」というようなことも言っていた。

2人とも結構酔っ払ってきていた。とはいえAは終始冷静で、Bが一方的に食ってかかるような状態だった。Bはどんどん感情的になっていき、口調が荒くなり、空気がピリついてくる。周りの社員たちも会話を止めてただ静かに2人の話し合いを聞かなければならないムードになっていた。

そんな中、ついにBがキレる。

それは、AがBに発した 「B社もC社も俺からすれば同じようなもんです」 というような発言がきっかけだった。B社に比べてC社の方が遥かにスケールする業態であり、コロナによる打撃はあったものの、今売上の立っているB社と売上の立たないC社は、今比較するならB社に軍配が上がるが、長期的視点に立てばC社に上がる。そのような文脈で、Aはそのような発言をした。

その場にはいなかったC社の社長は、Bの子分的存在であった。子分と同列に見られたBは、この発言が相当気に食わなかったようで、酒も回ってますます感情的になっていった。

それから1時間以上経って、ついにAが席を立った。ラチがあかないと思ったのか、あるいは単にトイレに行きたかっただけなのかは分からない。するとBは、「まだ話が終わってないんだから座ってください」と怒鳴った。

しかしAは座らなかった。Bは直属の部下である私に対して「おい、Aを押さえて座らせろ」と怒鳴った。しかしAには以前私がA社に所属していたときに色々お世話になっていたし、そもそもそれ以前に、そんな野蛮な指示には従いたくなかったので、私は何もしなかった。

するとBは「分かった、じゃあ俺がやる」と吐き捨てて、テーブルの上に足をかけてAの腕に掴みかかった。それからテーブルを跨いでAの目の前に立ち、Aの胸ぐらを掴んだ。

Aは「手を出したら終わりですよ」と冷静に告げた。また私を含め周りの社員たちでBをなだめたことで、Bは怒りを抑えきれない様子ながらその手を離した。

その直後、Bは私に対して「なんで言うこと聞けねぇんだ」「お前はどっちの味方だ」と怒鳴り、思い切りビンタと蹴りをかまされた。Bの子分の1人であるA社幹部も同様にビンタされていた。その子分は「よくあることだから」と言いながら、必死に訴えるような目で、耐えるよう促してきた。

一旦場は収まったものの、私の心は揺らいでいた。言うことを聞かなかったからといってブッ叩いてくるのは流石に人としてどうなのかと。

それからも2人はずっと話し合いを続けていて、私や他の社員たちの多くは離席して別のスペースで雑談などをしていた。なかなか帰れない空気だった。特に私はそうだった。「社長より先に部下が帰るなんてありえない」という考えを叩き込まれていたからだ。さっきの部屋からBの怒鳴り声がたまに聞こえてきた。

気がつけば深夜2時を回っていた。ちなみにこの日は平日だ。残った、というか残らざるを得なかった一部の社員たちも「勘弁してくれ」といった様子である。

そして2時半頃、一旦締めるという流れになり、最後に社長らが皆に挨拶の言葉を述べた。そこでもまだBはキレつづけていた その頃には社員は社長ら含め7-8人くらいになっていた。

エレベーターで地上に下り、ビルの前の開けたスペースに出る。六本木にほど近いが、閑静なエリアだ。Aはすぐにタクシーに乗って帰っていった。遅れて出てきたBはタバコを一服したあと、私に近付いてきた。

「ナメてんのか」「言うこと聞けねぇのか」「言うこと聞けねぇなら会社辞めろ」などと叫んで1分ほどボコボコにされた。私はこの時点で、会社を辞めることを決意していたと思う。

拳が止んだと思ったら、1分くらい経ってまた再開、というのが5-6セットは続いた。Bは「俺の言うこと聞けねぇのかゴルァ」「ヘタレが」「殺すぞ」「死ねクズ」「クソがぁ」など叫びながら、殴る、ビンタ、蹴る、引きずって倒して頭踏む、胸ぐら掴んで植木や街路樹に押し付ける、ネクタイで首を締めるなどといった技を次々と繰り出した。

イメージ

この話を友人などにすると、武道をやっていたのに抵抗しなかったのか、やり返さなかったのかとよく聞かれる。しかし、全くしなかった。私はもともとこの手の出来事が起きれば倍返しにするタイプの人間だった。なおこの日は酒を一滴も飲んでいなかったので、酔っ払っていたからとかでもない。ではなぜ抵抗しなかったのか、後から考えるに理由は主に3つある。

1つ目は、そもそも抵抗するとかやり返すという発想が頭になかったから。日頃から主従関係を徹底的に叩き込まれる中で、牙を抜かれていたのだ。

2つ目は、怒りよりも失望や呆れの方が勝っていたから。恫喝と暴力で支配するしか脳がないのかと呆れて、ただ悲しくなった。

3つ目は、そもそもダメージがそこまで大きくなかったから。Bの方が体格が良いが、酔っ払って足元がフラついていたので、打撃一つ取っても体重はあまり乗っていなかった。もし一撃が重かったら、流石に防衛本能が働いて、逃げるなり抵抗するなりしていただろう。

またこのとき、先程同じようにビンタを食らわされていたA社の幹部と関連会社D社の社長の2人も残っていたが、そんな彼らもBの子分であり、かつ結構酔っていたこともあって、全く助けてはくれなかった。彼らは完全に魂を売ってしまっていた。

ちなみに4-6セット目のボコリに関しては、この幹部社員が、その場を離れようとする私に「大丈夫だから」「ここで帰っちゃダメだよ」といってをBの方に物理的に引き戻したことによって発生したものである。(それに流された私もアホである)

彼は、私がその先もBのもとでやっていくならここで帰るべきではない、という考えでそうしたのだと思うが、結果ボコられた上に止めにも入らなかったのでクソである。ちなみにそんな彼もこれまでも何度かボコボコにされて救急車を呼ぶ羽目になったこともあるそうだ。昔は珍しくなかったのだろうか。

Bの暴力は延々と続きそうだった。私は流石に愛想を尽かしていた。流石に「いい加減にしてくれよ」と叫んで、走ってその場をあとにした。

この会社に入るにあたり「理不尽なことも我慢しろ」と社長から言われていた。しかし、これが社長の言う「我慢」なのだとしたら、そんな我慢に意義を感じられなかった。次の日も会社に行って、何事もなかったかのように仕事をする、ということもできただろう。A社幹部やB社の他の社員たちも、これまでそうやってBと付き合いつづけてきた。

仕事の方も、担当者として新規事業の準備を進めるなど、これから良い感じというところではあった。しかし、社長であるBの直属、舎弟のようなポジションで働いていたので、この会社でやっていくにあたってはBとの関係性がほぼ全てという状態だった。今回の件を許容してしまったら、本当に奴隷のような、長いものに巻かれることしかできないつまらない人間になってしまうと思った。今回の件はあくまでキッカケに過ぎず、日頃からそんなイエスマンになってしまわざるを得ないことへの懸念、染まってしまうかもしれないことへの危惧感はほぼ常にあった。

さて、これからどうするか、深夜なので電車は走っていない。クールダウンするためにも、30分の道のりを歩いて4時半頃にB社のオフィスに向かった。不要な書類の処分、備品や引き出しの中身の片付けなどをしたのち、パソコンを開いて退職届を書き、印刷・捺印して社長のデスクに置いた。

保険証は事務のおばちゃんのデスクの上に、キー類は郵便受けに入れた。外部ディスプレイなど諸々の私物とともに、朝6時前頃にビルを出て、電車で帰路に就いた。シャワーを浴びて一旦寝てから昼頃に取締役に電話で事情を説明した。驚いていたが理解してもらい、即日の退職に同意してもらった。事務のおばちゃんともチャットでやり取りして、退職手続きを進めてもらい、この日のうちに雇用関係は喪失した。こちらに明らかな落ち度があっての出来事ならともかく、そうではなかったので何の未練もなかった。

 

果たしてBは反省しているのか。その日のうちにA社時代の同期社員にA社内で探りを入れてもらったところ、どうやら反省していなさそうであることが分かった。

その後のBとのやり取りでも一言このように謝られただけで、あらゆる面で誠実さが見受けられず、怒りが湧いてきた。

戦う武器として使うため、軽傷ではあったが整形外科に行って診察してもらい、全身打撲の診断書を書いてもらった。その後損害賠償請求書類を作成して内容証明郵便で送る準備も進めつつプレッシャーをかけた。結果、書類を送るまでもなく当月分の日割り給与と併せて損害賠償金を支払ってもらうことになり、それが手切れ金のようなカタチとなった。

この件に限らず、B社で過ごした4ヶ月半は、理不尽な面も多々ありつつも、色々とお世話になったし学んだことも多かったように思う。今では感謝の気持ちの方が大きいと感じている。それから半年間の無職期間を経て、全く別業界のとある会社に入った。

2021/10 執筆
2023/03 加筆修正

コメント

タイトルとURLをコピーしました