大学受験を振り返る~現役編~

雑記

私は受験に失敗して浪人している。

この記事では、現役時代について振り返っていく。

多分、「アホだな」という感想を抱くことになるかと思う。

受験生は、反面教師なり何なり、何かしらの糧にしていただけるようなことがあれば幸いである。

当時の志望校

東大の赤門

「東京大学文科Ⅰ類」

高校時代はほぼここしか考えていなかった。

東大には、進学振り分けというシステムがある。
大学は基本的に、入学時点で所属学部・学科が決まっている。

しかし、東大はそうではなく、その決定は2年の秋頃になる。
例えば文科Ⅲ類(文学系)の枠で入学しても、3年から理学部に入ることも可能となる。

東大文Ⅰで前期教養課程を終えたら、
「後期教養学部/教養学科/総合社会科学分科/国際関係論コース」
に進むというのが当時描いていたビジョンだった。

別に文Ⅲでも良かったのだが、文Ⅰからだと進学振り分けの際に有利であること、法学系の不人気の波により出願者数が減少という当時の傾向を踏まえ、センター試験で足切りをくらう可能性が低いという理由から、文Ⅰを受験することにした。(前年も文Ⅰの足切り最低点はかなり低かった)

*「足切りをくらう」とは、センター試験の点数が出願先大学の定める基準に満たないとき、大学毎の個別試験を受験できなくなること。

受験先を選んだ理由

なぜ受験先として東大を選んだのか。
特殊な理由は特にないが、以下に列挙する。

優秀で面白い人材が集まっているから

全国各地から、脳味噌が優秀で志の高い人間が比較的多く集まってくる。
もちろん色んな人がいる。傾向・期待値の話だ。

OBOGが社会で活躍するのはよく目にしていたから、そういう強者が沢山いることは分かっていた。
そうした人たちから刺激を受けたい、与え合いたいと考えていた。

都心にあるから

関西の田舎生まれ田舎育ちの私にとって、様々な人間や様々な施設、数々の機会に溢れている大都会・東京という、刺激的な世界に飛び出したいという思いがとても強かった。

地方から東京の大学に進学したい人はほぼもれなくこれが理由の一つにあると思う。

じっくり考えて進路を決めることができるから

国際系に興味のあった私は、先述の通り国際関係論、いわゆる「国関」に進みたいと考えてはいたものの、大学に入ってから変わる可能性は充分にあるとも思っていた。

だから、大学に入ってからもしばらくは検討の期間が得られる東大のカリキュラムに惹かれていた。

ある種のモラトリアム。これも、東大を選ぶ人によくある考え。

教養に力を入れているから

浅くでいいから広く学び、視野を広げることに大きな価値を置いていた私にとって、教養課程が2年間続く東大は他にない魅力があった。

研究者になりたいなんて1nmも思ったことがなかったし、大学で学んだ学問が社会人になって直接的に活きるとも限らないと思っていたから。(全くもって本人次第だが)

周りにも目指している奴らがいたから

多くの生徒が東大・京大・阪大・神大、さらには理系の半分が医学部を目指す高校だった。

もし周りに東大・京大・医学部を目指す奴らが1人もいなければ、また話は違ったかもしれない。

人間、何かを選択するとき、環境によって発想の幅が大いに変わるものだ。
もし海外大学への進学を考えている奴が身近にいたら、「あ、そうか、それもアリなんだ」と、それまで思い浮かべもしなかったことが、現実にありうる選択肢として視野に入る。

学校の連中に志望校を結構知られていたから

高校1年のときに学校にローカルテレビ局が取材に来ることになり、インタビュー対象に選ばれたことがある。

そのときに志望校を聞かれて答えたのが放映され、同級生や教師に知られたことで、あとに引きたくなかったというのも多少はある。

特に当時は成績が上位だった。最初の方は勉強できたのに、出るときに尻すぼみじゃダサいと思っていた。

“東大生なのに”が欲しかったから

これはオマケのようなものだ。

東大生は勉強はできるが運動下手で社交性に欠ける、などといったイメージを世間から抱かれがちだ。
だから、何か勉強以外に秀でたものを身につければ、「東大生なのに凄い」などと評価される。

ギャップ萌えというヤツだ。当時は何となくそれが欲しかった。ミーハーだった。

大体こんなところだ。

受験に至る道のり

ただ、そこを受験するに見合った成績とは言い難かった。

高校1年の終わり頃から勉強に精が出ず、成績は下降の一途を辿っていた。特に社会科目を放置しすぎていた。

高3の8月の東大模試では、日本史2/60点、地理8/60点という凄まじい点数を取ってしまい、D判定。
11月の東大模試でも日本史6点、地理15点(ただし最高点が27点)という状況。C判定だった。

11月頃から学校をサボリ始める。受験生にも関わらずあまりに勉強をしていなかったため、受験対策の授業を受けるよりは自分で教科書などを読んでいた方がいいに決まってると考え、学外で自習する日が続いた。
私の怠惰さは相当なので、なかなか上手くいかなかったが、12月に入ってからは割とちゃんと勉強していた。

新年を迎え、さあセンター試験まであと少し、頑張ろう!というところで、正月早々突如歯が痛み始める。虫歯だった。

三が日は歯医者は営業していない。
それだけならまだ良かった。

なんと2014年は、1月4日と5日が土日だったのだ。

まあ急患受付している病院を探すなどやりようは色々あったと思うが、結局6日まで痛みを堪えることになり、勉強する気も起きず、新年早々出鼻を挫かれたのであった。なお、虫歯は一度治療した箇所からの再発であった。

加えて、私はあろうことか「にゃんこ大戦争」なるアプリゲームにすこぶるハマってしまう。

何日間かのめり込み、課金しなければ勝てないレベルまで来たあたりで、「何やってんねん俺」と我に返って中毒性の高いそのアプリを削除したのだが、とにかく意志の弱い愚か者であった。

もちろん、直前の何日間で、結果が大きく変わることはない。

センター試験後

1月中旬、センター試験を無難に終え、さあいざ東大に出願!というところで迷いが生じた。

いや、普通に落ちるだろと。

浪人は絶対にしたくなかった。受験勉強はつまらないし面倒だから。

だから、他の大学もほんの少し検討した。

そのとき、出願先候補として、今在籍している筑波大学についても調べた。国際系の学科があったからだ。しかし、

「茨城?田舎には行きたくないな」

ということで、検討開始から10分ほどで候補からあっけなく消えた。

後になって知ったことだが、当時の筑波大学の国際系の学科はセンター試験で公民科目が必須だったので、公民非選択の私にはそもそも受験資格がなかった。

少し悩んだ挙句、友人の励ましもあって、社会科目を伸ばせばいけるかもと考え、やはり東大文Iに出願。

しかし結局、日本史も地理も過去問を一切やることなく本番に臨んだ。
知識がなさすぎて論述問題どころじゃなかったのだ。
だから、対策と言えばただ漫然と教科書を読んだり一問一答的な問題集を解いていただけだ。

あまりに愚か者であった。

受験において、過去問はトップレベルに重要なツールであることは言うまでもない。
何事も、まず敵を知ることから始めなければ、効率を大いに欠く。

試験当日

そして2月25日、東大の試験当日。

愚かなことに、受験にあたって必要なセンター試験の受験票を実家に忘れたことに朝になって気付いた。

Yahoo!のリアルタイム検索で「受験票 忘れた」などとサーチすると、同じ穴のむじながたくさんいて、かつ会場で手続きをすれば大丈夫ということが分かり一安心。

文系の試験会場は駒場キャンパス。
前日に渋谷のホテルに泊まり、井の頭線に乗って、最寄り駅で降りる。

予備校関係者がワチャワチャしていて、受験票を忘れた人たちが長蛇の列を作っていた。

試験会場での印象的な出来事と言えば、見た感じ齢80は十分超えているであろうお爺さんが受験生として座っていたこと。

なお、お昼休みに教室を出る彼をストーキングしたところ、トイレの洗面台で痰を吐きまくりながら入れ歯を洗っているのを目撃することに。

翌26日の試験を終え、帰路に就いた。

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受験後に歩いた渋谷にて

合格発表とその後

翌3月上旬に合格発表。結果は不合格。

手応えがあったので「受かるかも」という思いはあったが、やはりそう上手くいくものではない。完全な実力不足であった。

必然的に翌々日の後期試験を受ける流れとなり、翌日に再び東京に向かった。

後期は、首都大学東京の都市教養学部に出願していた。

ここを後期の出願先に選んだ主な理由は以下。

・やはり東京が良かった(首都大はほぼ神奈川県だが)
教養系の学部である(色んなことを勉強できる)
受かる可能性が高そう

試験科目は小論文だけだった。
私のセンターの点数ならば、小論文で2割ほど取れば受かると思われた。

しかし、この年は志願者数増加によって合格点のインフレが起きた。
そしてこちらも不合格に。

あまりに意外だったが、フタを開けてみれば、私が合格するには小論文で8割ほど必要だった。
小論文の対策なんてほぼしていなかった私には厳しいものがあった。

試験後、ネットカフェに籠もって情報収集。
その足で東京と宮城を2週間一人旅することに。

なお、宮城での滞在中、偶然にも同じ教室で試験を受けていた男(彼は合格。灘の元生徒会長だった)と遭遇したのだが、彼もその老人をマークしており、受験番号も確認していた。その受験番号は合格者一覧にはなかったらしい。

かくして、私の愚かな大学受験(現役)は幕を閉じた。

2018.04.10

浪人編に続く。

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