マッチングアプリを使わず自然な出逢いにこだわる人間の脳内

雑記

マッチングアプリ・出会い系アプリ・婚活アプリの需要が大きく伸びた。

2020年1-8月には、国内最多の登録者数を誇る「Pairs」のアプリダウンロード数が前年比2倍になったという。参考:ITmedia NEWS コロナ禍でDL数2倍!躍進の婚活アプリ「Pairs」、運営元に聞くユーザー増のワケ

新型コロナウイルス感染症の影響で、外出や出逢いの機会が減ったことにより、これまでアプリを使用していなかった層(普段から出逢いに困っていない人たちや引く手数多な人たち)の参入、ステイホームの寂しさに伴う恋愛の優先順位の上昇などがその原因として考えられる。

マッチングアプリは「パートナーは欲しいけど、出逢いがない」という人にとって、手っ取り早く好みの相手を見つける上で合理的な手段だ。
私の周りにも、マッチングアプリで出逢って付き合ったという者が珍しくなくなってきた。

Pairs

しかし一方で、誰かと出逢いたい、付き合いたいという思いを抱きながらも、最初からマッチングアプリには手を出さないと決めている者も存在する。

その理由としては「相手の素性が分からなくて不安だから」「プロフィール記載の年収などのラベルで人を判断したくないから」「サクラがいるかもしれないから」「個人情報を運営に取られるのが怖いから」「知り合いにバレたくないから」「どうせ出会えないから」「お金がかかるから」「必死感があるから」「めんどくさそうだから」など色々あるようだが、多くの人に共通する理由として「自然な出逢いじゃないから」というものもあるだろう。

なお、よくある「自然な出逢い」とは、例えば同じ学校であったり同じサークルであったり同じ職場であったり、友達の友達として知り合ったとかパーティで話しかけたとかバーでたまたま横にいて知り合ったとか旅先で偶然知り合ったとかいうものだろう。社会人になると自宅と職場を行き来する生活の中で、そのような自然な出逢いに恵まれない人が多いらしい。(本当に人それぞれだが)

「交際相手・結婚相手とアプリで出逢った」とは人に言いづらいーそんな雰囲気は確かに存在する。
以前とあるカップルにどうやって出逢ったのか尋ねたとき、気まずい雰囲気になってしまったことがあった。
例えば結婚式で2人の馴れ初めを紹介するとき、「バーで出逢いました」などと言っていたとしても、実はTinderでした、なんてことも珍しくはないだろう。(最初の対面デートがバーだったのであればまあ嘘ではないし)

私もまた、マッチングアプリは使わない派である。
その主な理由は「自然な出逢いじゃないから」だ。
1サンプルとして、その心境を説明する。

私は恋愛というロマンティック性の大いに関係する事象においては特に「ストーリー」を大切にしたいと考えている。スタート地点において強い作為性、仕向けられた感があってはならず、あくまで偶発的に発生するものであることが望ましい。

つまりマッチングアプリのような、人々がこぞって恋愛対象(遊びの対象も含まれるだろうがそれはさておき)を求めるプラットフォーム上で、俯瞰的な第三者(サービス運営側)が「さあ皆様どうぞ恋愛対象を見つけてください」と言わんばかりに用意した「箱」の中で、その流れに則ってまんまと恋愛対象を探して出逢い付き合うというそのプロセスに付随する「集団性」「与えられている感」「消費者として担がれている感」に、ロマンティック性の欠片も感じられないのだ。

その点では結婚相談所への登録や婚活パーティ、本格的な合コンも全く同じだ。渋谷センター街や銀座コリドー街などのいわゆるナンパスポットでナンパするのもそれと同じようなものだろう。以前書いたディズニーランドの話に通ずるものがある。

「じゃあゲーセンに行ってゲームをやるのはどうなんだ?」「カフェに行ってコーヒーを飲むのはどうなんだ?」と思う人もいるかもしれないが、ゲーセンでゲームをしたりカフェでコーヒーを飲んだりというのは、もとよりロマンティック性とは関連性の低い行為であるため、なんら問題ない。

アプリユーザーであれそうでなかれ、恋愛対象を求める人が100人がいるとすれば、恐らくそのうち90人以上は「アプリを通じた出逢いよりは(どちらかと言えば)自然な出逢いの方が良い」と考えるはずだ。
私の所感に過ぎないが、恋愛対象を探す目的でマッチングアプリを使用しているユーザーの大半は多かれ少なかれ「アプリで出逢うのってどうなのかな…」という意識を抱いている。
それでもなお「そこに拘って誰とも出逢わないよりは、周りもやっているみたいだし恥じらいを捨てよう」と考える人が、アプリ登録に至る。

これらはあくまで、恋愛においてどこにどれほど重きを置くかという優先順位の問題である。

「効率性の高い、しかし非自然的な出逢い方であること(※不自然とは言っていない)」の価値が「自然な出逢い方であること」の価値を上回ってこない……パートナーは欲しいのにマッチングアプリを頑なに使わない人の中にはそういう人が一定数いると考えている。

私の場合、アプリで出逢うことそれ自体が恋愛の根本的要素の1つであるロマンティック性の観点からすると既にビハインドであり、それを挽回しうる価値が感じられる出逢いでなければ、割に合わないと考える。まあ、そんなことは出逢ってみなければ分からないのだけれど。

例外があるとすれば、2013年の「株式会社LIG社員による公開花嫁募集」と2019年の「Twitter花嫁募集」のようなパターンだろう。なお、いずれも結婚に至った。

自分の手や意思によって作られたプラットフォーム上、もしくは恋愛や交際を目指すことが客観的に期待されていないプラットフォーム上における発信であり、かつ自分のことをある程度知ってくれた上で魅力を感じてくれている人(その情報量はマッチングアプリの比ではない)から問い合わせが来るという状況(特に前者)。
つまり先程の「効率性の高い、しかし非自然的な出逢い方であること」の恩恵が「自然な出逢い方であること」の価値を上回ることが期待される状況。そして典型的な箱庭の中で踊らされている感が薄いという状況。
このような場合はロマンティック性は損なわれないと考えている。

LIG 結婚のご報告。30年彼女がいなかった僕が、秒速で結婚できた理由。

そしてこれまでの話を覆すようだが、1つ思うことがある。

特に恋愛初期においてはロマンティック性は非常に重要であるものの、何ヶ月も何年も一緒にいれば次第に薄れていき、その頃には居心地の良さや価値観の相性などの方が遥かに重要になっていくということだ。

当初はアプリで出逢ったことに後ろめたさを感じていたとしても、どんな風に出逢ったかなんて、その頃には取るに足りぬことになっていくのだろう。(その点、ある程度フィルターをかけた上でカジュアルに数を打てる「マッチングアプリ」はやはり合理性が高い)

つまり「出逢い方」は長い目で見ればあまり重要ではない。
結局のところ「幸せ」こそがゴールだ。
どんな出逢い方でも、結果的に今が幸せなら何でも良し、と考えることもできる。

パートナーが欲しい、でも自然な出逢いがいいー
そんなこだわりを捨てるのも、現実的な選択かもしれない。

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2021/04/21

追伸(2021/05/02):手痛い失恋で傷心の身となり、友人らに勧められてwithなるマッチングアプリをDLするも数日間で「やっぱり違うな」とアンインストールしました。そもそもあまりマッチしない。。。

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