運命なんてないと思った方がいい

価値観

運命なんて、ないと思った方がいい。ないものとして日々を生きた方がいい。

今に至る経緯に意味を持たせようとして、その延長線上に、それっぽい綺麗な展開を作ろうとしないでいい。

それは勝手に都合よく無意味に作り出した、個人的なストーリーに過ぎない。その個人的なストーリーが結果的に花開くこともあるかもしれないけれど、それは他にも無数にある花開くストーリーたちの一例に過ぎない。

本来、選択肢は無数にあるのだ。現象はこの瞬間も無数に生じている。そのごく一部を、ただ自分たちで勝手に意味づけしているだけだ。

「運命はある」と信じていると、運命が良い方向に運んでくれるという根拠なき願望から目が覚める頃には、人生の大半は決着がついてしまっているだろう。

「無駄」を避けようとしてモノや出来事に意味を求めすぎると、本当に大切にしたいこと、優先したいことを見失うだろう。何のためなのかも分からない、ただの執着になりうる。執着を抱くにしても、その対象は選んだ方がいい。

私はモノを捨てるのが苦手だ。それは、今ここにそのモノがあるという事実を無駄にしたくないという、ある種の執着だ。結果、手放すのに時間がかかってしまっている。「今」ではなく「今まで」にフォーカスしてしまっている。

それと同じようなことが日常のあらゆる場面で、人によって差はあれども起きている。

例えばブラウザ上で開きまくったままの大量のタブ(開いたからには読みたいと思い残してしまう)、最初は乗り気だったけど熱が冷めてきたプロジェクト(始めたからには、とか思って無駄に続けてしまったり)、あまり興味ないけどせっかくだし…と悩ませてくる友人からの誘いなど。

そうでなくて、もっとフラットに、今自分が何が好きで何をしたいか、もっとそこに意識を戻して生きていきていこう。もっと能動的に、目の前の選択をどうするか判断していこう。「これも運命だ」と思考を放棄して流されるのではなく、自らの感情や思考に寄り添って判断し、自ら流れを作るのだ。やっぱり運命なんてなくて、大小問わず何事も自らの手で掴み取った方がよっぽど良かったのだと後悔する前に。

過去に捉われずフラットに今にフォーカスしよう。そして、歩んだストーリーが結果的に、素敵な顛末を迎えたのであれば、そのとき初めて、それを運命とでも形容すればいい。

2023/04/18

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