納得感を求めすぎない

価値観

今年の1月から3月頃にかけて引越しを検討していたとき、移住先候補の1つは吉祥寺だった。

様々な情報サイトや不動産サイトで色々調べる中で、高い利便性、充実した公共施設、緑豊かな公園、都心へのアクセスの良さ、その割に低い家賃相場などが、魅力に映った。

住みたい街ランキングで例年トップクラスのこの街には数回しか行ったことがなかったので、改めて散策してみようと思い、平日昼過ぎ、三鷹で用事があったついでに散策してみた。

三鷹駅前から吉祥寺方面に向かってしばらく人気ひとけのない道を歩き、踏み入れた井の頭公園は広々としていて、穏やかで平和な空気感で満たされていた。

そこから駅の方に近づいていく。平日の14時頃。活気が凄い。商店街を歩いてみる。思っていたより遥かに規模が大きい。東京郊外という感じがしない。大きなヨドバシカメラもあった。狭くてディープな感じの飲食店街、客引きが立つ夜の店が並ぶ通りもあった。

確かに素敵な街だった。住みたい街ランキングで常にトップレベルなだけのことはある。公共施設も充実しているようで、この街だけで大抵のことは完結しそうだ。

通りの不動産屋の掲載物件を眺めてみる。3-4万円台の物件もある。今回の引っ越しの大きな目的の1つは、家賃削減。予算的にはハマる。

ただ、来訪者の多い街であり、賑やかすぎる。
住む街の活気はある程度重視しているが、このレベルとなると、ちょっと疲れそうだと正直思った。
商店街は充実しているが、普段そんなに買い物も食べ飲み歩きもすることはないし、今後もそれは変わらないだろうから、あまりプラスには働かない。

帰り道、井の頭線に揺られながら、住環境としての吉祥寺について改めて調べていた。そしてふと気付いた。もう結論は出ていると。

スマホを触る私の意識は、吉祥寺のアラ探しに寄っていることを自覚した。無意識的に、ここに住むのは違うなと感じ、その感覚を肯定して後押しする何かしらの事実を、結論への納得感を求めていたのだろう。しかし結論は変わらないのなら、わざわざそんなことをしても自己満足以上のものにはならない。

何かを検討するとき、自分がそう思いたい情報、自分に都合がいい情報を、無意識に探していることもある。外の情報に振り回されないようにするには、心の奥底の感情に向き合うのが先だ。

とことん納得感を突き詰めるべきといえる状況もある。でも、全てに高い納得感は要らない。時間もエネルギーも取られてしまうからだ。そしてそれらは限られている。センスと判断力を磨き、納得感を求める対象を取捨選択し、意味のある決断を追求していこうと思った冬のある日であった。

2023/02/22 執筆
2023/07/31 校正&公開

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