私の好きな「生き方」に関する言葉たち

価値観

挙げればキリがないが、特に好きな「生き方」に関する言葉を列挙していく。(随時更新)

真実などない。許されぬことなどない。

لا شيء واقع مطلق بل كل ممكن(アラビア語)
Nothing is true, everything is permitted.
―ハサン=サッバーフ(イスラム教ニザール派開祖 / 生年不詳 – 1124)

世の中のルールやシガラミなんて、国や地域が変われば全く違ったりする。結局は誰かが都合よく決めたものに過ぎない。本来、宇宙にそのようなものは最初から存在していないということを忘れてはならない。真に自由な心であらゆる選択をして生きていきたいという思いから。

楽あればこそ苦あり、苦あればこそ楽あり。

「今は、安楽な思いをしていても、そのうち苦しいと思うときは来るものである、逆に、苦しいと思っているときもいつまでも続くものではない」という意味のことわざ「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」のアレンジ。

「楽」という概念があるからこそ「苦」の概念が際立ち、「苦」という概念があるからこそ「楽」の概念が際立つ。どちらも人生の醍醐味であるのだから、どちらにも真摯に向き合っていきたいという思いから。

そこで諦めたら普通の人。

―澤穂希(なでしこジャパン元キャプテン / 1978 – 現在)

澤穂希氏が部屋に貼っていた紙に書かれていた言葉。2011年、なでしこジャパンがW杯で優勝したときにニュース番組で流れた映像に映っていた。何かを諦めそうになったとき、何かに躊躇してしまいそうなとき、この言葉を思い出して奮起する。

怠け者は愚痴を語り、働き者は希望を語る。

理不尽なことの多い世の中、愚痴の1つや2つくらい出てくるものだが、愚痴や不満ばかり言う者の未来は暗い。人は、希望を語る者の下に集まる。

明日のための最高の準備は、今日全力を尽くすこと。

未来を見据えつつ、今できることに全力で取り組む。普通のことのように見えて難しいことではあるけれど、この精神を忘れずにいたい。

愛とは等身大を曝け出す勇気、愛とは違いを受け容れる勇気。

―BVEATS創業者・芦名勇舗(1989 – 現在)

誰かを本当に愛しているかどうかは、相手に対して格好つけず、見栄を張らずに、自分を誠実に曝け出して、他ならぬ「自分」として向き合うことができているか、相手との違いを受容し包容することができているかによって測られる。

人生に対する自分の姿勢が、人生の自分に対する姿勢を決める。

Our attitude towards life determines life’s attitude towards us.
―ジョン・N・ミッチェル(元アメリカ合衆国司法長官 / 1913 – 1988)

目の前の全てはただの現象に過ぎず、そこに何を見出すかは、各々の解釈・姿勢次第である。「万事塞翁が馬」「災い転じて福となす」という言葉もある。たとえ一時的に凹むことがあっても、過去に起きた現象は変わらないのだから、受け止めて前を向いていった方が、良い景色を見ることができる期待値は高い。

人生に対して前向きかどうか、真剣かどうか。自分の姿勢次第で何事も変わりうることを肝に銘じるため、長年LINEのステータスメッセージにしている。

日々何かを学んできたはずだ。本当に大事なのはそれを実生活に活かすことだ。

Every single day of your life, you have learned something. The real trick is putting the lesson to use in your life.
―不明

これがなかなか出来ないから、私含め皆同じ失敗を繰り返しつづける。気付くことがインプットなら、アウトプットは言語化して整理することではなく、その教訓なり何なりを人生において直接活かすことだ。そして、歴史からも同じように学び、活かすことができる。

50歳になったときに20歳のときと同じモノの見方をしている奴は、30年を無駄にしたということだ。

The man who views the world at 50 the same as he did at 20 has wasted 30 years of his life.
―モハメド=アリ(アメリカの元プロボクサー / 1942 – 2016)

人生は、長さではなく密度にこそ価値がある。1年後、いや1ヶ月後ですら、同じような景色を見ていることのないように、日々精進していきたい。

全てを愛する方法は、いつかそれを失うことになるかもしれないと認識することだ。

The way to love anything is to realize that it may be lost.
―ギルバート=チェスタトン(イギリスの作家)

我々はいずれ必ず死ぬ。そうすれば記憶も資産も家族も友達もあらゆるデータも、全てを失うことになる。そう考えると、ムカつくアイツも、どうでもいい思い出も、なんだか全て愛しく思えてはこないだろうか。

自分がいずれ死ぬということを思い出すことは、何かを失うことを恐れることを避ける最良の手段だ。

Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose.
―スティーブ=ジョブズ(Apple創業者 / 1955 – 2011)

→どうせいつかは全てとサヨナラしなければならない。変に出し惜しみしそうなときはこの言葉を思い出す。どうせ死ぬんだから、何かを失うのだとしても心の高鳴る選択をして、「生きる」ことを忘れないでいたい。モノへの拘りを薄れさせてくれる言葉。

彼女が愛したものはたったの2つ。一つは彼女の長い黒髪、そしてもう一つはその黒髪をなんの躊躇いもなく切り落とすことができて、それでいて何も感じないであろうという事実。

She only loved two things. The first was her long dark hair. The second was how easily she could cut it off and feel nothing.
―映画「(500) Days of Summer」(2009)

という映画に出てくる台詞。彼女は、自分の黒髪を愛しているが、それを失っても別に悲しくはならない。彼女は彼女であるという事実は変わらないからだ。この言葉の空気感が好きだ。これもまた、モノへの拘りを薄れさせてくれる言葉。ちなみにこの映画を観たことはない。

ふとした瞬間に、自分に関わってくれた人たちの考えや癖が自分の中に確かにあることに気付くはずだよ。その時、別れのつらさよりその人たちとの出逢いに感謝する。あたたかい気持ちになるよ。

日本の友人がFacebookで、誰かにかけられた言葉として以前紹介していた言葉。考えてみれば、自分自身の中には、様々な人と関わる中で受けた影響が、意識することはできなかろうと、ほんの少しであろうとも、確かに生きている。誰もがそうだ。関わった人に限らず、動物や自然や作品だってそう。そのことを自覚すると、温かい気持ちになれる。私の人生に登場してくれて、関わってくれてありがとう、と。

1時間の浪費をなんとも思わない人は、人生の価値をまだ発見していない。

The man who dares to waste one hour of time has not discovered the value of life.
―チャールズ・ダーウィン(イギリスの自然科学者 / 1809 – 1882)

人生=時間でありエネルギーであること、そしてそれらには限りがあることを理解したとき、あるいは「このままでは終われない」と強く感じたとき、人生は真の幕開けを迎える。早ければ早いほどいい。

人を啓発するのは答えではなく、問いだ。

It is not the answer that enlightens, but the question.
ユージン=イヨネスコ(ルーマニアの劇作家 / 1909 – 1994)

答えを与えられて解決したところで、それはその場限りの表面的な対症療法に過ぎなかったりする。問いに対して思考を巡らせ、自分の意思で選び取り、行動することによって、真に血となり肉となる。

「本当にそうなのかな。一回確かめてみよう」がある人と「そうだ、そうに違いない」と決めてしまう人の人生はこうも差がつくものか。

―爲末大(400mハードル日本記録保持者 / 1978 – 現在)

あらゆる物事に対して、現実を見ようと視野を広げることなく、自分にとって都合のいい解釈ばかりを続けていると、たしかに居心地はいいかもしれない。しかしそうやって思考や問いを放棄していく中で、柔軟性を失い、あらゆる可能性が閉ざされ、つまらない存在になっていく。世界は変化しつづけるし、新たな事実はどんどん明らかになっていく。歳を重ねてもそれまで培ってきた固定観念に逃げずに、常に現実に向き合っていきたいものだ。

2018/10/27 執筆
2023/04/30 更新

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