もし何でも1つだけ願い事が叶うとしたら

価値観

そんな問いかけを受けて、先日浮かんだ私の答え。

「これまで存在した、今存在している、そしてこれから存在する全ての人間の一生を経験したい」

なぜなら私が長くて一世紀そこらの一生で得られる知識や経験なんて、宇宙における砂粒のように、あまりに極小で、頼りなくて、限られているから。だから、皆が得てきた/得るであろう全てを知りたい。

…と言いたいところだが、それはあまりに勇気の要ることだ。

例えば、敵対組織に激しく拷問されたり、戦争で家族を目の前で虐殺されたり、死ぬほど苦しい不治の病にかかったり、無実の罪で半世紀以上を独房で過ごしたり…

挙げればキリがないが、今に至るまで累計1000億人ほど存在したとされる人類の中で、法もインフラも医療も教育も整備された治安の良い現代日本で穏やかに生活できている私の想像を遥かに越えてくる絶望を経験した人たちが、どれほどいただろう。

何百億人もいたに違いない。可能であったとしても、流石にそれら全てを経験したいとは思えない。

だから、都合の良い話ではあるが、「『①あらゆる時代・地域における、類稀な興味深い人生を送った/送っている/送る人間』と『②世界の転換点の最前線にいた人間』の一生を全て経験したい」が修正版の願いとなる。さらに欲を言えば、対象を全生命体・全宇宙に広げたい。

まずは①について。

歴史に名を残した、偉人とされる人間の人生は満遍なく興味深いものだが、人類の99.9%以上の人生の記録は残っていない。その中には私たちの想像を絶するほど興味深い、奇跡的な人生を送った人たちが多く存在したはずだ。

今だってそう。多くの人が発信できる世の中になったけれど、発信しようとするのは一部の人間であるし、世間に知られていないだけで、ヤバすぎる数奇な人生を目下進行中の人も世界中にたくさんいる。

次に②について。

例えば初めてアフリカ大陸の外に出たとき、初めてアメリカ大陸に辿り着いたとき、気球が発明されたとき、自動車が発明されたとき、鉄道が発明されたとき、飛行機が発明されたとき、地動説が認められたとき、進化論が確立したとき、産業革命やIT革命が興ったとき、アポロ11号が月面に着陸したとき、どれほどの衝撃やワクワクがあっただろう。

日本だったら、関ヶ原の戦いを経て江戸幕府が誕生したとき、黒船が来航したとき、太平洋戦争が始まったとき、そして終わったとき。安保闘争が始まったとき海外に気軽に行けるようになったとき、携帯電話が普及したとき、バブルが始まり、弾けたとき。近年なら新型コロナ流行も、大きな転換点だった。

そしてこれから起こる様々な出来事。人類が迎える最期の瞬間まで。

そうした全てを、リアルに経験したい。

2023/6/29

コメント

タイトルとURLをコピーしました