SNSやブログで発信することのどうしようもないダサさとか

雑記

大学1年頃からブログで細々と記事を書いたりTwitterなどにたまに何か投稿したりしている。

とはいってもずっと続けていたわけではない。
何か発信したいと感じる時期と、何も発信したくないと感じる時期がある。

発信するのって、一歩違うとダサい。
特にSNS。見てみて~構って~という感じがいかにも親和欲求と承認欲求の塊で、ダサい。
「自分もその中にいる」と、しばし自己嫌悪に陥る。

発信にあたってのメインのモチベーションが親和欲求や承認欲求であったとしても、その内容が何か社会的に意義のあることであれば、その事実を免罪符に堂々と発信することができるのかもしれない。
でも別にそこまで発信したいお役立ち情報はないし、わざわざ探そう/作ろうと思えるほどのモチベーションもない。

もし世界に自分一人しかいなくて、でも電気とインターネットは通っていたとして、果たしてブログとかTwitterとかInstagramに何か投稿しますか?という話だ。
恐らくほとんどの人はしないだろう。
SNSとはSocial Networking Serviceの略称であり、Social(社会的)という要素が根本にある。要は人間同士を繋ぎ交流を促進するサービスである。馴れ合いは必然と言える。

欲に動かされて必要以上に自分を見せたり、必要以上に誰かを見たりというような馴れ合いに時間を費やすよりは、もっと俗世から離れた孤高の存在でありたいと思ったりもする。そんなとき、ほぼ全ての発信をやめる。ブログやSNSを「やらない」というのも、意図に関わらずある種のブランディングとして機能する世の中だ。あえてSNSに手を出していない人を私はカッコいいと思う。

20年くらい前までの、SNSなんてなかった時代に生きていた人たちは、だからカッコよく見える。
もし昭和の時代にもSNSがあったら、例えば映画館のスクリーンの向こう側の人たちはもっと俗っぽい存在として目に映り、雲の上の憧れ感はガッツリ薄れただろう。

一方で、何かしら発信することで、あるいは誰かの発信を見ることでこそ得られる機会があるのもまた事実だ。実際、これまでそういう経験は何度もあった。(最近はめっきりないが)

それらから離れて自己嫌悪から脱するか、肉を切らせて機会を掴みにいくか。
別にその二択ではない。程良い付き合い方はできるだろうし、どう扱うかにかかっているのだけれど。

2021/09/11

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