友達からの怪しい話に耳を傾けられるか

価値観

社会人になって半年ちょっと経って改めて思うが、東京には怪しい話が死ぬほど溢れている。

健康食品や日用品などのマルチ商法、自己啓発系の胡散臭い高額セミナー、明らかに質が低そうなのに高額な情報商材、霊能やヒーリングなどを謳う自称占い師・霊能者、「凄い」人を奉って情弱からカネを集める信者ビジネス、「短期でそんなに儲かるなら自分でやれよ」というレベルの高利回りの投資商品、即座に口座凍結されるが数分で稼げるらしい黒に近いグレーのFXツール、オカルトな内容を提唱する新興宗教、朝活や読書会や勉強会の様相を呈したそれらの入り口など、社会人になってからよく目にするようになった。

都会の洗礼とでも言えるかもしれない。一見怪しくとも、中には健全と言っていいものもあるだろうし、犯罪スレスレのものもあるかもしれない。

学生時代に詐欺に遭ったり歌舞伎町のボッタクリを研究したりしていた身からすると、耐性はある程度ついているとはいえ、実際判別の付きにくいものもある。

 

そうして舞い込んでくる様々な話を、大抵の場合は一旦聞いてみることにしている。なるべくフラットに話を聞いてみてから判断するようにしている。

例えば、マルチ商法が実際にどんなものかなんて、勧誘されるまでほとんど知らなかった。なんとなく怪しいな、という程度のイメージしかなかった。

そのイメージの源泉は、メディアだったり誰かから聞いた話だったりと、考えてみれば大して根拠のあるものではなかった。

そのような(一見)怪しいことをしている人たちは洗脳されていて盲目的になっているのだ、と人は思いがちだ。

しかし、何となく怪しいイメージや悪いイメージのあるものを、よく知りもせずに反射的に拒否することこそ、盲目的なのではないだろうか

実際に話を聞いてみると、イメージ通りの部分もある一方で「そんな仕組み・裏側になっているのか!」という学びがたくさんあった。

こちらから望まずとも色んな方面の色んな人たちの話を聞いてみて、いずれも私の感性・価値観・現状・将来像には合わないと感じたため、結果として手を出したいと思うこともなかった。ハッキリ言ってくだらないと感じるものが多い。(この辺りはまた別の記事で)

しかしその過程で、知らぬ間に偏見を抱き、思考を狭めていたのだと認識させられた。

怪しげな人にもバンバン会っていくスタイルの人は多くないかもしれないが、知人や友人から怪しい話を持ちかけられることはあるかもしれない。

それでも、「コイツは自分をカモにしようとしている!」と反射的にブロックするのではなく、まずは耳を傾けてみたらいいんじゃないだろうか。友達なら尚更だ。本当に友達だと思っているのなら。

多くの人は、怪しいと聞いているもの、怪しいと思ったものを、反射的に拒否する。

もちろん大抵の場合、それらは結果的には関わらない方がいいと言って差し支えないものばかりだろう。リスクは免れない。

 

だが、反射的に拒否するという姿勢こそ、人生における大きなリスクだ。

なぜなら自分の頭を使っていないから。

そういう人は恐らく、怪しさなど無縁のその他のあらゆる場面で、思考停止して様々な機会や可能性を逃している。たとえそんなつもりなんてなくとも。

知らず知らずのうちに築いてきた固定観念に、視野を、機会を、可能性を狭められる人生を魅力的と思わないのなら、それでいい。

無論、人として気持ちよくなければ、モノの中身が良さそうだろうが怪しそうだろうが耳を傾ける気にはならないので、初期の段階で見切りをつけるケースも多々ある。優先順位だってあるのだから、全部を相手にすることもない。

それでも、まずはなるべくフラットな姿勢で耳を傾け、すぐには判断せずに他からの意見や情報も適宜取り入れつつも、相手の姿勢も踏まえて、しっかりと自分の頭で考えて判断するー。

目の前のものが怪しかろうがそうでなかろうが、これを基本姿勢とした方が、より刺激的で学びに富んだ含蓄のある人生を送ることができると信じている。(あとは良いワクチンになるし、目利きができるようになります)

2020.10.18

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