Back to the Future、タイムマシン、戦国自衛隊、僕たちの戦争、Dragon Ball、ドラえもん……タイムトラベル系の映画などにおいて、タイムパラドクスは付き物だ。
自分が生まれる何年か前にタイムスリップして自分の親を殺せば、自分は生まれないので存在しないはずである。しかし、親が死んだのは自分が殺したからに他ならない。
この矛盾を解消するために「パラレルワールド(並行世界)」という概念が用いられることもある。タイムスリップとはA世界からB世界への移動を意味し、A世界から来た者がいくらB世界をかき乱そうとも、A世界には何ら影響がないという話になる。
一方でパラレルワールド設定がない作品においては、過去に移動する際などに「歴史を変えないように気を付けよう」などと心掛けたり「歴史が変わっちゃう!」と焦ったりする。しかしそんな心掛けや焦りは、過去に到達した時点で既に無意味だ。移動した時点で既に歴史を変えている。ほんの僅かな変化ですら、バタフライエフェクトのごとく大きな変化を引き起こしうるからだ。
※バタフライエフェクトとは、蝶が羽ばたく程度のごく僅かな動きが、気象上の大きな変化に繋がるという現象。(例:ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こす)
例えば任意の人物の元となる受精卵の発生に至った生殖活動(自然受精)において、もし射精時に数ミリでも腰の動かし方が違ったなら、受精に成功したのは別の精子だったかもしれない。ヒトラーは数ミリ差で別人格になり、ナチスドイツは誕生することなく、何百万人ものユダヤ人が虐殺されるなんてことはなかったかもしれない。
例えば恐竜の時代にタイムスリップしてネズミ(正確には哺乳類の共通祖先であるプロトゥンギュレイタム・ダネー)を一匹踏み殺すだけで、その後誕生するはずであった夥しい数の子孫すべてが自動的に消滅するわけだが、つまりそれは今の人類の全てに影響を与えることになりうることを意味する。そのネズミが全子孫のもとになっているわけではなくても、その子孫たちは他の個体に全ての世代にわたって様々な影響を与えるはずだったからだ。
つまり、少なくともこの世界の過去に移動することはできない。ゲームならバグッてフリーズして終了だろう。ただし過去を観ることはできる。
回りくどくなったが、そんなごくごく僅かな差異の気の遠くなるような集積によってこの世界は成り立っている。今こうして存在していることはあまりに奇跡的すぎるということだ。どんな生き方をしても、運命と形容づける必要すらなく、我々は奇跡の結果であり、奇跡の過程であり、奇跡の礎だ。うん、だからどうした。
2020.04.26
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