小学校から今に至るまでの自分の中での筋トレブームを振り返る

雑記

筋トレを再開するにあたり、振り返りとして過去の自分の中での筋トレブームについてここに記す。

第一次筋トレブーム:筋肉同盟

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時はXX07年。

小学校6年生だった私は、当時カリフォルニア州の知事をしていた俳優のアーノルド=シュワルツェネッガーや、ロッキーシリーズで有名なシルヴェスタ=スタローンらといった筋肉隆々系俳優の主演する映画を観るうちに強く憧れ、筋トレを開始した。

足に巻くタイプの重り3-5kgとともに登校してそのまま学校で過ごしたり授業中に空気椅子を実践したりすることで足腰を鍛え、昼休みの休憩中、あるいは体育館での授業中や、ボイコットした授業の時間などに腕立て伏せをすることで、前腕と胸筋の鍛錬に努めた。

家では毎日30-50回の腕立て伏せと腹筋を課し、腹に10kgの瓦を巻いて登校したこともあった。

先述の通り遺伝的に筋肉質だったため、何もせずともかなりの力こぶを誇っていたし、腕相撲でも同級生の間では上の方だったが、これによってさらなる筋肉を会得した。

とはいえ、当時は筋トレの常識である超回復などのメカニズムや効果的なトレーニング法を知らなかったため、非効率なやり方であったであろうことは言うまでもない。

担任の指導や総合学習の時間の使い方が気に食わなかった私は当時、積極的に反抗。クソ生意気なガキであった。その担任は他の生徒達から支持されていたため、クラス全体を敵に回すこともあった。

しかし、その後クラスの中心的存在であった女の子を好きになったことなどがキッカケとなって自ずとクラスに歩み寄ったことで、結果的に筋肉や筋トレをクラス男子の間で普及するに至り、「筋肉同盟」なるものを結成。

筋肉同盟の名のもとに、自由帳にデスノート×ドラえもん×北斗の拳みたいなイカれた漫画を描き、日々皆に披露していた。なお、この頃、多くの同級生から「ボス」と呼ばれていた。

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このような絵をよく描いていた

また、当時は黒のタンクトップを下着にすることが多く、放課後の4~5人しかいない教室で友達が私の上腕筋に「鉄筋コンクリート」とマジックで書き、男のミートボールを「おにぎりをよこせぇ!」と叫びながら握りつぶそうとしてくるキ〇ガイらとともにアクロバティックなプロレスごっこをするなどということも何度もあった。

しかし、別のクラスの担任に、骨の発達しきっていないこの時期に筋トレをしたら身長が止まると言われ、すぐに辞めることになる。(しかし実際のところ、よほど強度なトレーニングでなければほぼ関係ないらしい)

なお、卒業アルバムに寄せた作文では、シュワルツェネッガーが登場している。

なおこれは姉の監修のもとふざけて書いたものであり、漁師や大工には全く興味がなかった。

第二次筋トレブーム:筋トレ部

時はXX12年。

高校2年生になり、学校で身体測定が行われた。前年と比べてほぼ伸長が伸びていなかった。つまり、筋トレをしようがしまいが関係ないと思った。運動不足であったこともあって筋トレを再開することにした。

4月に修学旅行があったが、ルームメイトを半ば強制的に巻き込んで、ホテルのベッドの上でスクワットや腹筋など、ひたすら筋トレに励んだ。

しかしモチベーションの維持が難しいと感じたため、一緒に筋トレする仲間が必要であると考え、「筋トレ部」の設立を思い付くに至る。

生徒手帳の校則に目を通したところ、部を設立するには同好会としての活動が1年以上は必要であると知り、「筋トレ同好会」設立を決意。

高2頃(なかなかイキっている)

当時の担任が大学時代にラグビーをバリバリやっていた若いマッチョ(ザキヤマに似ている)であったため、知識も経験もある彼にスペシャルアドバイザー(顧問)になってもらうことになり、知り合いに声をかけてメンバーを3~4人ほど集めることに成功。

坂ダッシュ、グラウンドダッシュ→腕立て伏せ→ダッシュ→腕立て伏せ→…、雨の日は屋内でビリーズブートキャンプ、などという風にメニューをいくつか考案。筋トレがメインというよりハードな運動といった具合だった。

さあ、あとは理事長に許可を貰えば活動開始だというところで、スペシャルアドバイザーを通して理事長に進言。

「筋トレを集団ですることの意味が分からない」

そのような文言とともに、あえなく一蹴される。

私が通っていたこの学校、当時は運動部が3つくらいしかなく、新設を認めていないようだった。

腐っていたところ、少林寺拳法部の部室に筋トレマシンがあるという噂を聞きつけ、「部長がゲイらしいから気を付けろよ」と何人かから言われたが気にせず部室に遊びにいき、サンドバッグを殴るなどを経て、間髪入れず入部。

週3の活動では部室で雑談したりプロレスごっこをしたりと、サークル的な緩さで過ごした。学園祭では集団演武のほか、ドラえもんのパロディ演劇を考案し、スネ夫に拉致されるマッチョなしずかちゃん役を披露したり、部誌を発行したりした。

結局、少林寺拳法がメインとなり、筋トレをすることはなかった。

そもそも、本当に筋トレをしたいのならば、同好会というカタチに囚われずに有志で活動すればいいだけの話だが、無自覚に謎に形にこだわってしまっていた。

第三次筋トレブーム:留学生筋トレ集団

その後、浪人時代にダンベルなどで少々鍛えたり、大学1年の秋に某陸上競技日本記録保持者担当のフィットネストレーニングの授業を取ったりしたが、ブームと言えるほどの規模ではなかった。

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これは浪人時代の右上腕二頭筋。筋トレなしでもこんな感じ

そして時は経ちXX17年。どうやら5年周期で筋トレブームが訪れるらしい。

やはり筋肉は重要だと感じていた矢先、学科の新歓合宿に上級生として参加した際に、留学生の先輩から「留学生筋トレ集団」の存在を教えてもらう。

彼はそこで何ヶ月かやって、結構筋肉がついたのだという。

眼鏡の向こうの彼の細い目は、まるで夏の夜にカブトムシを見つけた少年のように、キラキラ輝いているかのように見えた。

参加してみることにした私はある日の夕方、大学の中央体育館のジムへ。

ジムには一般学生中心のゾーンと、オリンピックを目指すような層もいるガチ体育会系ゾーンに分かれているのだが、そのガチな方に、彼らはいた。

見るからにゴツい、主にアジア系の留学生たちが、男臭い汗水を垂らしてハァハァ喘ぎながら、重いダンベルをレイズしている。

快く迎え入れてくれた彼らの指導のもと、ハードな筋トレを開始することになり、プロテインとの付き合いも始まった。

月曜は上半身、水曜は下半身、金曜は背中、という具合に、2時間ずつくらいやっているとのことだったが、私はとりあえず上半身だけでいいと思っていたので月曜日だけ参加していた。

ガチ勢からは見下される傾向にある上半身限定トレーニー

ダンベルプレス、ベンチプレス、ロープ登りなどが主なメニューで、人数は日によってよく変わり、鍛錬のあとは腕が上がらないくらいに疲弊した。彼らとは休日にバーベキューやカラオケに行くようなこともあった。

効果があるとはいえ時間がもったいないと思いはじめたため、次第に一人で短時間集中の筋トレをするようになる。

週に1回か2回、1時間以内に体幹トレーニング、ダンベルプレス、ベンチプレス、マシン、懸垂を中心に行い、主に上半身を鍛えた。

留学生筋トレ集団の教えをベースにしつつ、筋トレのマニュアル本を購入し、理論的な筋トレを志し、他の筋トレビギナーの友人らにも初歩的な部分をいくらか教えるなどした。インターバルを充分に取らずに酸素不足でしんどくなり、トイレで吐いたことも何度かあった。

その頃、とあるビジネスコンテストにおいて筋トレ継続支援サービスを考案してパワフルなプレゼンで会場を沸かせ、特別賞を受け取る。(投資会社から投資を受ける権利。しかしチームメンバーとの相性が当初から悪かったのと、留学を控えていたので何もしなかった)

そのビジコンで知り合った男や、何人かの尊敬する先輩、仲の良い友達などといった筋トレ仲間が続々とでき、週1ペースで上半身を中心とする筋トレに励み続ける。筋トレあるあるだと思うが、筋肉痛がないと落ち着かなかったことを覚えている。週1ペースでの学内ジムでの筋トレは、留学直前まで続けた。

留学後は大学の知り合いのツテで筋トレ仲間を速攻で獲得。さらにその仲間たちも含め一緒に筋トレをすることに。ボディビルダーを目指す男による長い上にガチハードすぎるメニューは、これまでにないレベルでしんどかった。

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大学の体育施設

ちなみに彼は筋トレ後にトイレのミラーで自分の筋肉を確認してほくそ笑んだり、インスタグラムに筋肉の成長記録を不定期にアップしたりするナルシストだった。

色々あって週6の体育、特に軍事訓練や全身運動といったハードな肉体鍛錬の授業を取っていたこと、4ヶ月先に迫る2ヶ月の長期休暇中はあまり筋トレできそうにないこと(どうせその間に萎むと思っていた)、スペイン語学習にもっと注力したいとの思いから、彼らとの筋トレは結局3-4回程度で終えて、個人的筋トレからは離れることになり、細く長く続いたブームは終焉を迎えた。日本に帰るとき、空港で荷物が重量オーバーと判断されてしまい、日本から持ってきていたプロテインの余りを友達にあげた。

第四次筋トレブーム:区立体育館

XX19年に帰国し、それからしばらくして、また筋トレを緩く再開した。

当時住んでいた高円寺の格安シェアハウスに一緒に住んでいた男が、近所の区立体育館に通っていた。そこは2時間140円で利用できた。ちょくちょく通うようになった。大学の体育施設でもたまにやっていた。

しかし、ガチでやる感じではなかった。

第五次筋トレブーム:通い放題パーソナルジム

社会人になり、コロナ禍もあり運動不足を感じていたXX20年夏頃、当時営業職だった私が使っていたビジネスマッチングアプリyentaで、パーソナルジムBEATS(現・BVEATS)の営業マンから連絡がきた。

BVEATSとは、月額3万+税で通い放題のパーソナルジムである。その創業者である芦名氏の存在は前から知っていて、Twitterで連絡して朝食をご一緒したこともあり、もちろんこのサービスのことも知っていた。

優秀な営業マンをヘッドハントしまくる外資生命保険会社プルデンシャルで未曾有の結果を残したこともある芦名氏が経営する会社の営業マンの営業を、同じ営業職として受けてみたい。そう思った私は彼と渋谷桜ヶ丘の星乃珈琲店で会うことにした。青いスーツをバシッとキメた、高校時代にハンマー投げで全国優勝経験もある元高校教師を前に、私は入会手続きを始めることになる。

店舗の一つが会社に向かう途中の駅のそばにあったので、行き帰りや休憩中などに通うようになった。短時間ながらハードなトレーニングに時には吐きそうになりながらも週4くらいで続けた。

まずは増量しようということで食事量を増やし、結果3-4ヶ月で体重が68kgから78kgになった。着れない服が増えた。とはいえ脂肪も同時に結構増えていた。

しかし、年明けから関連会社に転籍することになり、通いにくくなったので5ヶ月ほどで退会した。

同じタイミングで近所のジムに体験入会したものの、2週間の体験期間のうち、行ったのは体験入会登録をした当日ただ一日のみであった。

第六次筋トレブーム:ペースメイカーとして

転籍先の会社も4ヶ月半で急遽退職し、半年間の無職を経て再び会社員になって半年経って迎えたXX21年のGW。私はたるんでいる自分に気付いた。始業終業時間が定まっておらず在宅ワークOKであったことに甘え、メリハリのない生活を送ってしまっていたのだ。特に午前中の生産性が低かった。

ずっと家にいるのはダメだ。朝から会社に行こう。しかし強制力はない。どうやって強制力を作り出すか。色々考えた。

その結果、パーソナルジムBVEATSが最適だという結論に至った。

・月額3万+税で通い放題
・朝7時半から営業
・1回30分とコンパクト
・会社との間に店舗がある

そして何より、

・予約して行かなければキャンセル料が2千+税かかる

これが結構手痛いから強制力として機能した。大衆ジムにはない、継続する上で重要な外的要素だった。

朝7時頃起床し、7時半にBVEATSの店舗に赴いて体を動かし、徒歩で会社に向かう。
早速GW明けからそんなルーティンが確立され、半年以上続けた。

筋肉を増やすというよりも、朝ほぼ強制的に自分を家の外に出し、運動によってスイッチを入れるという、ペースメイカーとしての役割に価値を感じていた。前回通っていたときに食事を摂りすぎた反省と、単に面倒だったことから、あまり食事量を増やさないようにした。だから体重はほぼ変わらなかった。

海外旅行やら何やらで金銭的な余裕があまりなかったこと、もともと痛めやすい傾向にあった腰を痛めてしまったことなどにより、年内で退会した。

第七次筋トレブーム:自重と水泳

腰の痛みもほぼほぼ癒えてきたXX23年3月末。今、健康のため、そしてある程度身体を仕上げるために、筋トレを再開するときが来たと感じている。

とはいえ、少なくとも当分は、激しい筋トレをするつもりはない。なぜなら怪我に繋がりやすいからだ。特に腰は、一度やると再発しやすい。腰痛はQOLをメチャクチャ下げる。

ゴツい身体には憧れるが、数度の腰痛を経て、「動物的な身軽さ・しなやかさ」もまた重要であると感じている。そもそもジムでの筋トレはオーバーワークになりやすい。ハードな筋トレは、普通に生きていては使わない部分に、無理に負荷をかける行為という側面もある。

また、腰痛を機に在宅ワークに戻ったことを機に部屋やデスク環境を改善し、また仕事に向き合う気持ちにも良い変化があり、自宅でも仕事が捗りやすくなった。スパイス要素として週1は出社することにしているが、基本は自宅で過ごすことになる。

だから今回は、自宅でユルく自重トレーニングという形をとることにした。ヨガマットを使って、ストレッチなどもしつつユルクやっていく。お金もかからない。

また、動物としての生存力を高めたいという思いから、ちゃんと泳げるようになるべく、水泳を始めつつある。

最初は基礎から教えてもらおうと思い、家から4駅ほど離れた水泳教室の体験に参加したものの、そのためにピッチリめの水着を購入・着用したところ、案外泳げる自分に気付いた。これまではダボッとした海パンでしか泳いだことがなかったが、水の抵抗があまりに違った。毎週通うのが面倒だし、グループレッスンなので無駄な待ち時間が多い。

だから、YouTubeなどで知識を入れつつ、家の近くにある区立プールに週1は通うというスタイルでいくことにした。運動不足の解消はもちろんのこと、全身をしっかり鍛えることができるし、2時間数百円と安い。

細く長く続けようと思う。

2018.11 作成
2019.05 更新
2023.03 更新

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