「コツコツと努力できない」という呪縛

価値観

高校3年の頃だったか、代ゼミや東進と古文の講師として有名な吉野敬介氏の自伝的著作を母が買ってきて読んだことがあった。

色々あってグレて暴走族の総長になるほど突っ張っていた不良が、女に振られたことを機に受験勉強を始めて、手の甲に針を刺して眠気と闘いながら一日約20時間頑張った結果、ゼロから4ヵ月で國學院大学や早稲田大学に合格するというストーリーだった。

当時受験生だった私はその本を読んで以来、「死ぬ気で頑張れば短期間でも成果は出せるはず」と思うようになった。

 

それはある意味で魔法だった。私の中である種の神話となり、そして呪縛となった。

「たとえ時間がなくても、彼みたいに一気に集中して頑張れば一発逆転できるはずだ」

その考えに私は甘えた。そして秋、合格圏内とはいえない状況であったにも関わらず、どこか本気になれない自分でありつづた。

あと一ヵ月と迫った頃には既に遅く、受験に落ちた。

 

浪人中は、色々あって早期に志望校を変えて難易度が下がったことで余裕ができたこともあって、相変わらず勉強に精を出せず、ニートのような日々を送っていた。それでも残り1ヵ月というところで真剣に向き合いはじめ、受験は無事終わった。

直前でもなんとかなる――。改めてそう思うようになっていた。しかし、振り返れば高校時代の蓄積なくしては難しかったのは間違いない。

そんな調子で、大学に入ってからも呪縛はしばらく続いた。

 

吉野氏の話だが、冷静に考えれば20時間ぶっ続けで勉強なんて集中力が持たないから効率が悪いし、スポ根の世界では英雄でも実際のパフォーマンスはかなり悪い。

なお、そもそも彼は実は早稲田には合格しておらず、何とか入れた國學院大学も難易度の低い夜間学部だったというのが真相らしい。

とはいえ、世の中にはゼロから4ヵ月で早稲田に受かる人だっているかもしれない。しかしそんなものは一部の天才の話だ。

 

やはり結局のところ、成果を出すためにはコツコツとやらざるを得ない。高校1年生の入学式で「コツコツ」という名前の詩が印刷されたプリントが配布され、母はそれをトイレに貼った。毎日のように視界に入っていたはずなのに、コツコツとやることの大切さを分かっていなかった。

留学中はそんな自分にコツコツやる経験をインストールしようとスペイン語学習に毎日励んだ。地味な変化だが、多少は意味があったかもしれない。

でも根本的にはやっぱり変わっていなくて、社会人になって間もない今でさえ、ドライアイ改善の目薬さえ一手間を面倒がって差せないような、怠惰との闘いの日々が続いている。

 

今一度、あのときの魔法を解こう。神話を打ち壊そう。呪縛から逃れよう。

目の前のことをやろう、やりつづけよう。

前に進みたいから。もっと色んな景色を見たいから。後悔しない人生を選びたいから。

今日という一日一日を、せめてこの日だけはと着実に踏みしめて、目の前のことに真摯に取り組み続けていこう、学び続けていこう。

2020.04.11

 

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