日韓関係が悪いときに韓国でフリーハグをしたら驚きの展開に

旅/紀行

2019年9月中旬。
連日報道される日韓関係の悪化や対立に関するニュース。

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それは政治の世界に留まらず、経済界、エンタメ界、市民の意識にまで強く波及していく。

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加熱する反韓反日ムードに違和感を抱いた私は、韓国・ソウル広場に立っていた。

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韓国を訪れるのは3回目。家族旅行、高校修学旅行、そして今回の友人との旅行だ。

日本に来ていた留学生や、南米留学中に出逢った旅行者など、韓国人の知り合いはまあまあいる。
とはいえ、隣国だからという理由で韓国に対して特段親しみを抱いているわけではない。

ただ単に、気に食わないからといって全てを(感情的に)否定する、非難する、差別するというのが酷く浅ましくくだらないと感じざるを得ないという話だ。対象がルーマニアだろうがシリアだろうが同じこと。
友好なコミュニケーションを取り合える地球人であるということの方が、特定の人種である以前に重要であることに疑いの余地はない。

全体的な差別感情を抱く人は、漫画などでよくある、近くの高校との対立を気取るヤンキーのようなものだ。対立しているとしてもそれはヤンキー層だけで、他の全生徒が敵であるわけがないだろう。 

在日朝鮮人などへのヘイトスピーチが話題となっていた高校時代、そういったものへの批判を某全国紙に投じてコラム欄トップで掲載されたことがあった。

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これはその一部。(一部主張が記者によって校正されているが)

当時はネトウヨたちから叩かれていたが、この問題に関する私の考えはこの頃とほとんど同じだ。

ネトウヨたちは韓国の犯罪発生率がどうとか色々言うが、それが真実だとしても、全体を否定する理由にはならない。

私は広場でフリーハグをすることにした。
これは韓国に行く前から決めていた。
この情勢の中でフリーハグをしてみたらどんな反応になるのかを直接見てみたかったというのもあった。

フリーハグをするにあたって改めて調べたところ、既に日本人のフリーハガーなる肩書きを持つ桑原功一という男性が8月にソウルでフリーハグを実行済みらしいことが分かった。彼はフリーハグをしながら世界を廻っているらしい。

比喩的だが、ハグとはある意味無防備で隙だらけなポーズであり、裏切られたときに負うダメージはデカい。ガラ空きの脇腹にグサッと刺される一発は致命傷になりうる。
人間関係においても、心理的に遠いと互いに傷つけにくいが、近ければ愛情に比例して負うダメージは大きくなる。リスクがあるからこそ、より大きな感情表現と受け取られる。

だからこそ、やはりハグだ。
とはいえ、少数の誰かとあからさまに同じことをするのは私のポリシーに反する。
だから他のやり方も考えた。
しかし「互いを受け容れ合う」「友好的なサイン」となると、握手よりもハイタッチよりもやはり「ハグ」なのだ。

そういうわけで改めてフリーハグをすることにしたのであった。

文房具店で画用紙を購入し、日本から持ってきていたマジックペンとGoogle翻訳を使いながら、このようなことを書いた。

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「日韓政府の関係性がどうであろうとも、一人の日本人と一人の韓国人は友達でいられる。そう思いませんか?私はそう信じています。FREE HUG。ある日本人より」

私はその画用紙とともに、このような姿で広場に立ちはだかった。

見つめていく人、写真を撮っていく人、ハグしてくれる人、色んな人がいた。
人通りはそう多くはなかったが、それでも老若男女問わず多くの人がハグしてくれた。

「カムサムニダ(ありがとう)」「I think so, too.(私もそう思います)」
そんなことを何度も言われた。

ブロガーという女性が、記事にしたいと言ってハグしてくれたりもした。
全体を通して、否定的な言動を取られることは一切なかった。

驚いたことに、様々な人が私に食べ物や飲み物を持ってきてくれた。
リンゴ、コーヒー、ジュース、きな粉餅、色付きのお餅、お菓子…。

私はその温かさに感激した。
後日、全て美味しくいただいた。

この行動を通して生まれたものなんてほんの僅かなものに過ぎない。
ただ、特定の人種民族を含む大小様々な集団に対する短絡的で画一的な差別感情を抱くことの浅ましさを、改めて感じさせられるキッカケとなった。

2019.09.30

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