20代のうちに世界一周したいとずっと思っていたけど、やめることにした理由

価値観

高校時代の終わりに一人旅をして旅に目覚め、大学1年頃から漠然と、若いうちに世界中を放浪したいと思っていた。

国際系の学科だったこともあり、海外旅行をする人が多く、休学して世界一周してきたという先輩もいた。しかしそれ以上に、とある元放浪者が書いた本から刺激を受けたのが、そう思うようになったキッカケとしては大きかった。

私も1年ほど休学して世界中を放浪しようと思っていた時期があった。ただし、「世界一周」という言葉には抵抗があった。ステータス的な、ファッション的なものに感じられたからだ。実際、とにかく日々移動しまくる、もはや一周することが目的化している人たちは少なくない。

だから、私が目指していたのは、あくまで「世界放浪」。気に入った場所に少し根を張ってある程度過ごし、ある程度満足したら、また気ままに拠点を変える。そんな感じで1年で20カ国くらいを廻りたいと思っていた。

結局留学に行くことになり、大学在学中の実現は叶わなかった。社会人としてある程度働いたあと、20代のうちに、1年以上かけて各地を巡ろうと思っていた。

なぜ20代にこだわったかというと、若いというだけで人から警戒されにくいし、フレンドリーに接されやすく、それゆえ各地で様々なチャンスを掴みやすいと思ったからだ。

例えば大学1-2年の頃はヒッチハイクで移動する機会が多かったのだが、もし私が40代だったら、乗せてくれる人はかなり少なかっただろう。留学先のストリートでフレンドリーに関わってくれた人たちも、私が50代ならもっと身構えていただろうし、そもそも絡んでこなかったかもしれない。

そして、若さは徐々に失われていく。若いうちにできる、かつやりたいことを、若いうちにやっておきたいと思っていた。

その思いは今も変わらない。しかし、改めて自分自身を顧みた結果、1年以上に渡って世界を放浪するのは、やめることにした。

理由は4つ。

  1. 長期間連続で放浪すると色々薄れるし、飽きるから
    非日常も、続けば日常になる。終わりを意識できるくらいの期間の方が、自ずと密度は高まるし、喜びは大きくなるし、思い出は深く刻まれる。長いと、飽きてくるだろう。
  2. 旅以外のことをしたくなるのが目に見えているから
    過去最長の旅は大学時代、約2ヶ月だったが、正直1ヶ月も経てば非日常が日常になり、根を下ろして生産的なことをしたくなったものだった。当時よりももっとやりたいことが多い今、旅だけに集中したいとは思わなくなっていた。
  3. 自分自身の今後の発展性を考えたとき、合理的ではないから
    学生時代と今とでは状況が違う。20代後半の今、旅に1年以上連続で捧げることの将来の自分にとっての意義を考えたとき、それよりももっとすべきことがあるだろうと感じている。それが仕事だ。仕事の能力を高め、やりたいことをやりたいときにできるようにするための基盤作りに時間やエネルギーを注いだ方が、明らかに発展性が高い。
  4. 若さは機会を獲得するための唯一の武器ではないから
    若い方が、確かに放浪先での(放浪先に限らず)機会は得られやすいだろう。しかし、機会を得るための武器は、若さだけではない。その人間の総合力だ。若さばかりに囚われなくていい、と思い直すようになった。

つまり、長期に渡り連続して放浪することの意義が感じられなくなっていた。というか、本来そうであったはずだが、自覚できていなかった。一気に放浪するのではなく、細切れに放浪する方が、得られる幸福度の総和は遥かに大きい。

そもそも、なぜ人は世界を一気に廻ろうと思うのか。移動費を削減できる。長期に渡り実生活を忘れられる。何者かになれたかのような感覚を得られる。このあたりだろうか。

1つ目に関しては、仕事の能力向上に伴う経済力の向上により、重要性は下がる。
2つ目に関しては、そのような欲求は今のところない。
3つ目に関しては、そんな空虚なものは要らない。

結論としては、3-4ヶ月に1回、行きたい場所にスポット的に飛ぶというスタイルでいく。線ではなく点でいい。というかその方がいい。仕事は休むか、リモートワークで対応する。その方が、高い充実感・非日常感を得られる。流石に中南米やアフリカなど、日本からのアクセスが悪いところに行く際は、1ヶ月以上は滞在したいものだが。

2023/05/25

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